- ホーム
- IKIGAIを持つ者たち
- 溝田正行 侍フードサービス株式会社

包丁を持ったまま、戦い方を変えた ——「IT料理人」が守り抜く、料理人の誇りと未来
溝田正行 侍フードサービス株式会社
IT料理人
福岡県北九州市
包丁を持ったまま、戦い方を変えた ——「IT料理人」が守り抜く、料理人の誇りと未来
ゴミ捨てに向かう、ほんのわずかなエレベーターの時間も、眠る瞬間だった。
新入社員の頃、溝田さんは一日20時間働くような、
過酷な飲食の現場にいたという。
店で泊まり込むこともある。心も身体もすり減るような毎日のなかで、ほんの数十秒の移動時間さえ、束の間の休息だった。
「忙しい」は、心をなくすと書く。
そんな言葉を、彼は理屈ではなく、自分の身体を通して知っている。
料理人としての厳しさも、理不尽さも、時代の荒さも、その身でくぐり抜けてきた。だからこそ、彼の言葉にはいつも、現場を知る人間だけが持つ重みがある。
それでも、料理人を辞めなかった。
何度も心は折れた。
それでも、「いつか自分の店を持ちたい」という夢だけは消えなかった。寿司職人として腕を磨き、和食の世界で下積みを重ね、その夢をついに実現する。だが、溝田さんはそこで“店主”として満足する人ではなかった。自分の店を持つことは、ゴールではなく始まりだったのだ。
飲食業界は、今なお昭和のやり方が色濃く残る世界である。
根性、長時間労働、職人気質。そうした文化のなかで、料理人として生き残る道は決して一つではないと、溝田さんは早くから感じていた。料理人には二つの道がある。職人として一生を貫く道と、経営者として新しい武器を持ち、生き抜く道だ。30年、40年と包丁を握ってきた先輩たちに、経験では勝てない。ならば、自分はどこで勝つのか。何を武器に、この世界を生き抜くのか。
その問いの先で、彼が選んだのがITだった。
“IT料理人”——その言葉は、奇をてらった肩書ではない。
古い業界を否定するための言葉でもない。料理人の誇りを未来へ残すために、自ら戦い方を変えた者の、覚悟の名前だ。料理の技術を磨くだけでは守れないものがある。だからこそ彼は、人手不足が深刻化し、料理人の働き方そのものが揺らぐ時代に、包丁以外の武器を持つことを選んだ。
どうすれば現場を守れるのか。どうすれば、料理人が本当に極めるべき仕事に集中できるのか。
包丁一本で生きてきた男は今、ITと経営の力を使って、料理人の未来そのものを支えようとしている。
第1章 料理人には二つの道がある——職人で極めるか、経営者になるか
「料理人の世界って、まだ昭和が残っています」
自分もまた包丁を握り、下積みをし、厳しさの中を生き抜いてきた一人だからこそ出てくる、実感のこもった言葉だった。
料理人には、二つの道がある。
ひとつは、職人として技術を磨き続け、一生をその道に懸けていく生き方。もうひとつは、料理の技術を土台にしながら、経営や時代の変化に対応するための新しい武器を持ち、生き抜いていく生き方だ。溝田さんは早い段階で、その分岐を見つめていた。そして、自分は後者を選ぶのだと決めた。
もちろん、それは職人の道を軽んじたからではない。むしろ逆だ。
30年、40年と包丁を握ってきた先輩たちの背中を見てきたからこそ、キャリアでは絶対に勝てないと知っていた。寿司を握る技術、和食の所作、現場で積み上げられてきた経験の重み。それは簡単に追いつけるものではない。だから彼は考えたのだ。自分は、どこで勝つのか。どこなら、自分ならではの価値を出せるのか、と。
その問いの先にあったのが、ITだった。
といっても、自分をエンジニアだと思っていたわけではない。ただ、料理人の世界にはまだ少ない「ITを使いこなす側」に回れば、そこに明確な差別化が生まれると感じたのだ。料理の世界にいながら、ITリテラシーを高め、経営者としての視点を持ち、時代の変化に対応していく。その戦い方なら、自分はまだ伸びられる。そう確信したとき、“IT料理人”という言葉は、ただの肩書ではなく、生き方そのものになっていった。
彼の中で料理人という仕事は、昔から変わらず「人を幸せにする仕事」だった。美味しい料理を食べて、ありがとうと言ってもらう。その一瞬で、人の心をゆるめることができる。だからこそ、その価値を守るためには、古い業界の中でただ我慢し続けるのではなく、時代に合わせて戦い方を変えていく。誇りを守るために、進化する。溝田さんはそこを大事にした。
“IT料理人”という言葉には、少し異質な響きがある。
溝田さんは、ただ料理を作る人ではない。
料理人という生き方そのものを、時代に合わせて更新しようとしている人なのだ。
第2章 心をなくす修業時代——それでも夢だけは消えなかった
溝田正行さんの原点を語るうえで、避けて通れない時期がある。
それは、料理人として歩み始めたばかりの頃に身を置いた、過酷な修業時代だ。
今でこそ「ブラック」という言葉で表現できるかもしれない。だが、当時の飲食業界では、それがある種の“当たり前”として存在していた。新入社員だった溝田さんもまた、その渦中にいた一人だった。一日20時間働くことも珍しくなく、店で泊まり込むこともあった。心も身体も限界に近い。ゴミ捨てに向かうエレベーターのわずかな移動時間でさえ、眠っていたというエピソードは、その現場の凄まじさを何より物語っている。
当然、何度も心は折れた。
料理人という仕事に憧れて飛び込んだはずなのに、現実は理想とはまるで違う。華やかな世界の裏にあったのは、理不尽さと重労働、そして自分の余白が少しずつ削られていくような日々。それでも溝田さんは、その時間をただの苦しみとしてだけは受け止めていない。あの時代を通ったからこそ、飲食の厳しさも、現場の歪みも、そして人が“忙しさ”の中でどれほど簡単に心をなくしてしまうかも、骨身に染みて理解できるようになったのだ。
「忙しい」は、心をなくすと書く。
その言葉は、今の溝田さんの中で単なる教訓ではなく、人生の実感として生きている。料理人として人を幸せにする仕事をしたい。美味しい料理で誰かの気持ちを緩めたい。そう思って入った世界で、自分自身が心をなくしてしまっては、本末転倒になってしまう。だからこそ彼は、あの修業時代を経てなお、「人を幸せにする仕事としての料理人」という原点を手放さなかった。
折れなかったわけではない。
むしろ、何度も折れている。それでも辞めなかったのは、18歳、19歳の頃から胸の内にあった「いつか自分の店を持ちたい」という夢が、最後の芯として残り続けていたからだった。夢というものは、きれいごとだけでは続かない。現実に叩かれ、何度も揺らぎ、それでもなお消えないものだけが、本当の意味でその人を支える。溝田さんにとって料理人の夢は、まさにそういう種類のものだったのだろう。
しかも彼がいたのは、業界全体が大きく揺れていた時代でもあった。
バブル崩壊後の余波の中で、華やかさの裏にあった脆さも露わになっていく。
溝田さんが最初に入ったのは、誰もが知るような有名料亭だったという。能の舞台が店内にあり、かつてはランチで何十万円、何百万円という金額が動いていたような、本物の高級料亭。しかし、そんな場所でさえ時代の波には抗えず、やがて傾いていった。
この経験は、後の彼に大きな影響を与えたはずだ。
料理の腕だけでは守れないものがある。現場を知らなければ見えない厳しさがある。そして、夢を叶えるだけでは足りない。叶えた夢を、どう守り、どう残していくかまで考えなければ、この世界では生き抜けない。そうした感覚の芽は、すでにこの頃から彼の中に育ち始めていたのだと思う。
苦しかった。何度も限界を感じた。
それでも、料理人であることをやめなかった。
夢だけは、消えなかった。
溝田さんの進化は、華やかな成功物語から始まったわけではない。
むしろその逆だ。心をなくしかけるほどの過酷な時間をくぐり抜け、それでも「この道で生きたい」と思えたところから、すべては始まっている。
第3章 夢を叶えた日、彼は店主で終わらなかった——開業支援という第二の使命
長い修業時代をくぐり抜けた先に、溝田正行さんはついに一つの夢へたどり着く。
それが、自分の店を持つことだった。
料理人にとって、自分の店を持つというのは特別な意味を持つ。誰かのもとで腕を磨き、理不尽も厳しさも飲み込みながら、それでも技術を積み重ねてきた先にようやく見える、自分だけの舞台だ。溝田さんにとってもそれは、10代の頃から抱いてきたひとつの到達点だった。寿司職人として腕を磨き、和食の世界で下積みを重ね、2012年についにその夢を実現する。
だが、彼はそこで満足する人ではなかった。
むしろ、自分の店を持ったその瞬間から、視線はすでに次の場所を向いていた。
一店舗を持って終わるつもりは、最初からなかったのだ。
和食居酒屋として始めた最初の店は、寿司も出しながら、できるだけ多くの人が入りやすい形を模索した場所だった。理想だけでは商売にならない。生き残るには、来てもらいやすさも、回りやすさも、現実的に考えなければならない。そうした商売の感覚を持ちながら、彼は同時に別のことも始めていた。開業コンサルである。
それは、思いつきで始めたものではなかった。
もともと周囲には、「いつか自分の店を持ちたい」と願う料理人仲間や経営者仲間が多くいた。実際に自分が店を立ち上げたことで、「どうやって開業したのか」「どこから始めればいいのか」を尋ねられることも増えていった。だが、溝田さんは知っていた。開業とは、夢や勢いだけでどうにかなるものではない。自分自身がそこにたどり着くまでに、想像以上の苦労を味わってきたからだ。
彼の中では、開業までに必要な工程は「180プロセス」あるという。
物件探し、資金、業態設計、厨房、仕入れ、導線、スタッフ、届け出——ひとつでも甘く見れば、店は簡単に立ち行かなくなる。だからこそ、ただ「頑張ればできる」と背中を押すのではなく、ひとつずつ伴走しながら、その人の夢を現実にしていく必要がある。自分が苦しかったからこそ、そこを支えられる人間になろうと思ったのだろう。
彼は、自分だけが夢を叶えればいいとは思っていない。自分が実現したことを、今度は誰かにも実現してほしい。
それを、綺麗事ではなく、現場を知る者として具体的に支える。そこに彼の仕事観の核がある。料理で人を喜ばせることも、人の店づくりを支えることも、根っこにあるものは同じなのだ。誰かの人生が前に進む瞬間に関わること。それ自体が、彼にとって大きな喜びになっていった。
やがてその支援は、一店舗の枠を超えて広がっていく。
近隣のイタリアン、フレンチ、寿司居酒屋——業態は違っても、支援の本質は変わらない。物件を探し、立ち上げを支え、経営者をサポートしながら、店同士をつなぎ、送客し、ブランドを広げていく。単に「自分の店を成功させる人」ではなく、「人の夢を現実に変えていく人」へ。溝田さんはこの頃すでに、料理人という枠を少しずつ越え始めていた。
料理人として生きてきたからこそ、店づくりの苦しさも、現場のリアルも、経営の難しさもわかる。その体感があるから、机上の空論ではない支援ができる。夢を語るだけでなく、夢を残すところまで見据えられる。だから彼のコンサルは、ただのアドバイスではない。経験を通して編み出した、実践の伴走なのだ。
自分の店を持つことは、ゴールではなかった。
それは、溝田正行さんにとって、もう一つの使命が始まる合図だったのである。
第4章 現代の侍は、料理人である——誇りと限界のあいだで
溝田正行さんにとって、「侍」という言葉は、ただ格好いい響きのブランド名ではない。
そこには、自分が料理人という仕事に抱いてきた誇りと、日本人として大事にしたい精神が込められている。
現代の侍とは、誰なのか。
そう問われたとき、溝田さんの中で浮かぶのは、和食の料理人たちの姿だった。長年包丁を握り続け、技術を磨き、無駄のない所作で目の前の一皿を仕上げていく。真剣な眼差し、研ぎ澄まされた手つき、そして客の見えないところで積み上げられてきた膨大な修練。そこに彼は、かつての侍に通じるものを見ている。包丁は刀のようであり、料理人はそれを手に、日々自分の技と覚悟を試される。だからこそ彼にとって「侍」は、過去の歴史用語ではなく、今も現場で生きている言葉なのだ。
溝田さんは、外務省の外郭団体に関わる“公邸料理人”の世界にも触れてきた経験を持つ。大使館や総領事館といった外交の場で、料理人が食を通じて日本を伝える存在になり得ることも知っている。自分自身がその道を進み切ったわけではないとしても、料理人という仕事が、ただ店の厨房にとどまるものではなく、日本の文化や精神を背負いうる仕事であることを、彼はよく分かっている。料理人とは、目の前の料理を作る人であると同時に、日本の誇りを体現する人でもあるのだ。
だが、だからこそ、溝田さんは歯がゆさも抱えてきた。
本当に腕のある料理人、本当に誠実に料理と向き合っている人ほど、経営の壁の前で苦しんでしまう場面を、何度も見てきたからだ。いい料理を作れることと、店を残せることは、同じではない。職人として一流であることと、経営者として生き残れることもまた、同じではない。原価管理、集客、数字、スタッフ、仕組み——そうした現実に向き合わなければ、どれほど素晴らしい料理でも、店そのものは続いていかない。溝田さんは、その厳しさを知っている。
実際、彼が支援してきた人の中にも、「この料理を残したい」と思いながら、なかなか変わりきれない人がいたという。
本人も苦しい。周囲ももどかしい。それでも、長年染みついたやり方や、職人としての矜持が、変化を受け入れることを難しくすることがある。提案はする。やるべきことも伝える。けれど、最終的に決断するのは相手自身だ。そこにコンサルタントとしての限界もある。溝田さんは、その現実を突き放すように語るのではなく、どこか痛みを込めながら受け止めているように見える。変わってほしい。残ってほしい。けれど、誇りだけでは、店は守れない。その現実を、彼は知っている。
溝田さんが守ろうとしているものの正体。
それは単に売上を上げることでも、店舗を増やすことでもない。彼が本当に守りたいのは、料理人という生き方そのものに宿る誇りであり、その誇りが時代の変化の中で消えてしまわないようにすることなのだと思う。侍のように技を磨き、誰かを喜ばせるために尽くす。その美しさは確かにある。だが、その美しさを未来へ残すには、精神論だけでは足りない。誇りを貫くためにも、経営を学び、仕組みを持ち、変わる勇気がいる。
侍であることと、生き残ること。
その二つを、今の時代にどう両立させるか。
溝田さんが“IT料理人”として歩いてきた道は、まさにその問いに対する一つの答えなのだろう。
第5章 人手不足の時代に、料理人の未来をどう守るか——“地球で遊ぶ”ための仕事論
溝田さんが今、真正面から向き合っているテーマがある。
それが、人手不足だ。
飲食業界に長く身を置いてきた彼にとって、それは単なる経営課題の一つではない。もっと切実で、もっと根深い、日本全体の構造変化として見えている問題だという。実際、現場ではすでにその兆候どころか、危機そのものが日常になっている。人が集まらない。採っても定着しない。現場は疲弊し、経営者は回らない店を抱えながら、なんとかその日を乗り切ろうとする。料理人が料理に集中する以前に、店そのものを回すことが難しくなっていく。そんな現実が、確実に広がっている。
溝田さんは、この危機を感覚ではなく、かなり具体的な数字として捉えている。
毎月5万人ずつ労働人口が減っていく。年間で見れば60万人。彼はそれを「鳥取県が毎年一つ消えるようなもの」と表現した。
多くの人は、人手不足が進んでいること自体は知っている。だが、それがどれほどの速度で進み、この先どれほど多くの店や現場のあり方を変えてしまうかまでは、まだ本当の意味で実感できていない。溝田さんは、そこに強い危機感を持っている。
だからこそ彼は、単なる「採用支援」では終わらない。
人が足りないなら採ればいい、という発想だけでは、もはやこの時代は乗り切れないと知っているからだ。
今の日本で起きているのは、求人の取り合いでしかない。どの店も、どの会社も、限られた人材を奪い合っているだけで、構造そのものは何も変わっていない。だとすれば、本当に必要なのは、少ない人数でも回る仕組みをつくることだ。料理人がやるべきことと、そうでないことを分けること。人がいなくても成り立つ導線や役割を設計すること。つまり、「人を増やす」ことではなく、「人にしかできない仕事に集中できる状態をつくる」ことなのである。
ここで溝田さんが持ち出すのが、ITやAIだ。
発注、集客、情報整理、顧客対応、事務作業、経営管理——そうした周辺業務の一部を、ITやAIによって軽くできるなら、その分だけ料理人は料理に集中できる。人の手でなければならないものと、仕組みで支えられるものを切り分けることで、初めて現場に余白が生まれる。溝田さんは、その余白こそが、これからの時代にもっとも大切だと考えている。
実際、彼の言葉の中には、その発想がはっきり表れている。
人手不足の解消には「700のプロセス」がある、と。
人手不足という問題は、一つの打ち手で解決するほど単純ではないという認識の表れなのだと思う。採用だけでもない。教育だけでもない。定着だけでもない。業務設計、役割分担、IT導入、経営判断、外部リソースの使い方——あらゆる視点から組み直して初めて、現場は息を吹き返す。
その複雑さを知っているからこそ、彼は「料理人の未来を守る」というテーマを、精神論ではなく、構造設計の問題として扱っているのだ。
そして溝田さんのIKIGAIは、「地球で遊びたい」という一言に集約されている。
この一言には、これまで語られてきた過酷な修業時代とも、侍としての誇りとも、人手不足への危機感とも、一本の線でつながる思想がある。
遊ぶように生きる。
それは、無責任に楽をしたいということではない。時間にもお金にも心にも余裕を持ち、自分が本当にやりたいことをやりながら、人の役にも立てる状態をつくることだ。
なぜなら、ゆとりがなければ、人を助けることはできないからだ。忙しさは心をなくす。あの地獄のような修業時代を生き抜いた彼だからこそ、その言葉の重みがある。余白がなければ、本質的な価値提供はできない。目の前の生活だけを回すことで精一杯になれば、誰かを長く支えることもできない。だからこそ彼は、ゆとりを持つことを、単なる理想ではなく、支援者としての責任だと捉えているように見える。
そう考えると、溝田さんが目指しているのは、料理人が料理に集中できる未来。経営者が数字と現場の両方を見ながら、無理なく店を続けられる未来。そして、自分自身もまた、仕事と人生が切り離されず、遊ぶように働き、働くように生きられる未来。そのすべてが、彼の中ではつながっている。侍のように誇りを持ち、経営者のように構造を見て、そして最後は、地球で遊ぶように生きる。
溝田正行さんが“IT料理人”として進化してきた先にあるのは、そんな新しい仕事観なのかもしれない。
料理人の誇りを守るために、ITを持つ。
現場を守るために、仕組みをつくる。
そして、人を支え続けるために、自分自身も余白を持って生きる。
溝田さんが描いている未来は、単なる効率化の話ではない。
それは、人が人らしく働き続けるための、新しい生き方の設計図なのである。
あとがき
溝田さんの話を伺っていて、強く心に残ったのは、「進化」とは何かという問いであった。
世の中では、変わることが正義のように語られる。新しいものを取り入れること、効率化すること、時代に合わせること。
だが、溝田さんの歩みを見ていると、本当の進化とは、何かを捨てて別人になることではなく、自分の核を守りながら、時代に合わせて戦い方を変えていくことなのだと感じた。
料理人として人を幸せにしたい。
その原点は、修業時代の過酷さを経ても消えなかった。むしろ、心をなくしかけた経験があったからこそ、「人を幸せにする仕事」としての料理の価値を、誰よりも深く信じられるようになったのかもしれない。
そして、その誇りを守るために、包丁だけではなく、ITや経営という武器を持った。
そこに見えたのは、古いものを壊す人ではなく、大切なものを未来へ残そうとする人の姿であった。
守りたいのは、料理人という生き方に宿る誇りそのもの。
その誇りが、長時間労働や人手不足、時代の変化の中で削られ、失われてしまわないようにすること。そのために仕組みをつくり、余白を生み、料理人が本来向き合うべき仕事に集中できる未来を描いている。その視点に、私は大きなIKIGAIを感じた。
最後に語られた「地球で遊びたい」という言葉の裏にも、忙しさが心をなくすことを深く知っている人間だからこその重みがある。人を支える側こそ、余白を持たなければならない。自分がすり減っていては、誰かの未来を本気で支えることはできないことを分かっていた。
誇りを守るために、変わる。
精神論ではなく、構造を変える。
そして、自分も人も、もっと人間らしく働ける未来をつくる。
溝田正行さんは、ただの“IT料理人”ではなかった。
料理人という生き方そのものを、次の時代へ手渡そうとしている人であった。
その姿は正に侍であり、日本に残していかなくてはいけない志だと感じた。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師


