好きなまま、強くなれる社会へ——理不尽なスポーツ文化を壊す挑戦

TRASTA JAPAN 横山純一郎

脱理不尽を掲げるスポーツ教育者

熊本県合志市

好きなまま、強くなれる社会へ——理不尽なスポーツ文化を壊す挑戦

 

なぜ、真面目な子ほど壊れていくのであろうか。

指導者に言われたことを、誰よりも忠実にやる。
痛くても、苦しくても、弱音を吐かずに耐える。
疑わない。逆らわない。休まない。
それが努力であり、それが成長だと教えられてきた子どもたちがいる。

だが、その先で何が起きてきたのか。
好きだったはずの競技を嫌いになる。自分の体の声が分からなくなる。なぜこの練習をしているのかも分からないまま、ただ「やれ」と言われたことをこなしていく。そして、気づけば、自分の夢を追っているはずなのに、自分の人生を生きている感覚を失っていく。

日本のスポーツ現場には、今もなお、そうした理不尽が残っている。
もちろん、すべての現場がそうだと言いたいわけではない。真剣に子どもたちと向き合っている指導者も多いであろう。だが一方で、「考えさせないこと」が指導の名のもとに正当化され、「従うこと」が美徳として残り続けている空気も、確かに存在している。

その現実に、真正面から問いを投げかけている人がいる。
TRASTA JAPANを率い、「健康・スポーツ文化を変える」と掲げる横山純一郎さんである。

横山さんが育てたいのは、ただ強い選手ではない。
ただ勝てる選手でもない。
自分で考え、自分で判断し、自分の体を守り、自分の人生を選べる選手である。

その思想の根には、横山さん自身の痛みがある。
かつて本気でプロサッカー選手を目指し、誰よりも努力した。だが、努力の方向が違っていた。足が遅いことに悩み、速くなりたい一心で走り続けた結果、さらに遅くなっていった。努力が足りないのではないかと自分を責め、もっとやらなければと追い込んだ。だが後になって分かったのは、足りなかったのは根性ではなく、知識だったということだった。

「なぜ誰も教えてくれなかったのか」

その原体験が、いま、横山さんの指導の根幹になっている。
自分と同じように、知識不足で夢を絶たれる子どもを増やしたくない。好きな競技を、好きなまま追い続けられる環境を残したい。横山さんが壊そうとしているのは、単なる古い練習法ではない。子どもたちから「考える力」を奪ってきた、スポーツ文化そのものなのである。

第1章:努力しても届かなかった——「知識がなかった」少年時代

横山さんにとって、サッカーは幼い頃から人生の中心にあった。
小学校、中学校、高校と、ずっと本気でサッカーに打ち込んできた。クラスの中心にいて、仲間に囲まれ、ボールを追うことが日常であり、自分を表現できる場所でもあった。将来はプロになる。その目標を疑ったことはなかったという。

高校に進んでも、その思いは変わらなかった。
プロテストを受け、合格を目指し、何度も挑戦した。活躍した手応えもあった。最終選考まで進んだこともあった。だが、最後のところで届かない。

その理由は、自分でも分かっていた。
足が遅かったのである。

小学生や中学生の頃は、そこまで気にならなかった。だが、高校という競争の激しい世界の中では、その差がはっきりと突きつけられた。だから横山さんは考えた。足りないなら、もっとやればいい。速くなりたいなら、もっと走ればいい。ごく真面目に、まっすぐに、そう信じたのである。

誰よりも走った。
休まず走った。
速くなりたい一心で、ただ走り続けた。

だが、結果は逆だった。
走れば走るほど、思うように速くならない。
いや、むしろ遅くなっていった。

そのときの苦しさは、体よりも心のほうが大きかったという。やってもやっても届かない。努力しているのに変わらない。すると人は、「まだ足りないのだ」と思ってしまう。もっとやらなければ。もっと追い込まなければ。そうして、自分をさらに追い詰めていく。

当時の横山さんは、それ以外の考え方を知らなかった。
強い環境に行き、頑張って練習すれば強くなれる。走れば速くなる。言われたことをやれば上手くなる。そう信じていた。

だが、夢は叶わなかった。

監督に腹が立つことはあった。理不尽な指導に違和感を覚えることもあった。チームメイトに苛立つこともあった。けれど、サッカーそのものを嫌いになったことはない。点を決めれば嬉しい。勝てば気持ちいい。ピッチに立てば、自分が自分でいられる感覚がある。研ぎ澄まされる。そういう感覚が、ずっとサッカーにはあった。

だからこそ、届かなかった悔しさは深かった。
好きだからこそ、諦めきれない。
努力しているつもりなのに、報われない。
その現実は、横山さんの中に大きな挫折として残った。

中学生の頃、験担ぎのようなものをやめ、「神様を信じない」と決めた経験も、横山さんの根っこに通じている。神頼みではなく、自分が積み重ねたものでしか自分は表現できない。そう思ったときから、横山さんの矢印は常に自分に向いていた。誰かのせいにするのではなく、自分に何が足りないのかを考える。どうすればよくなるのかを考える。その姿勢は、この頃からすでに育っていたのである。

夢に届かなかったことは、確かに挫折だった。
だが、その挫折はただの敗北では終わらなかった。
横山さんの中には、この頃からすでに、言葉にならない違和感が残り始めていた。

本当に、これが正しい努力だったのだろうか。
本当に、言われた通りに頑張ることだけが成長だったのだろうか。
その問いが、のちの横山さんの人生を大きく動かしていくことになる。

第2章:なぜ誰も教えてくれなかったのか——挫折が“思想”に変わるまで

横山さんの中に残った違和感が、はっきりとした問いに変わったのは、大学に入ってからだった。

指導者ライセンスの学びやトレーニング理論に触れたとき、横山さんは初めて、自分が当たり前だと思ってきたことが、当たり前ではなかったと知ることになる。

走れば走るほど速くなるわけではない。
練習量を増やせば強くなるとは限らない。
トレーニングには目的があり、順序があり、身体の状態を見ながら設計する必要がある。

その事実そのものも衝撃だった。
だが、それ以上に大きかったのは、それまで感覚でしか捉えられなかったものが、言語化されていたことだった。

「ああ、こういうことだったのか」
「これは面白い」

横山さんは、そのとき初めて、スポーツを“教える”ことの面白さに出会ったのだという。

それは単に知識が増えたということではなかった。
自分がなぜ苦しんできたのか。
なぜ届かなかったのか。
なぜ、あれほど努力しても報われなかったのか。
その理由が、少しずつ見えてきたのである。

そして同時に、強い感情も生まれた。
なぜ、これをもっと早く知ることができなかったのか。
なぜ、誰も教えてくれなかったのか。
なぜ、自分は「言われたことをやること」だけを信じていたのか。

この問いは、やがて横山さんの指導思想の核になっていく。

当時の自分には、「疑う」という視点がなかった。
強い高校に行き、厳しい練習をして、言われたことをやり抜けば強くなれると信じていた。だが現実には、そこに正解はなかった。むしろ、疑わずに従っていたからこそ、遠回りをした部分もあったのである。

だからこそ横山さんは、のちに「脱理不尽」という言葉を掲げるようになる。
それは、単に昔ながらの厳しい指導を否定するための言葉ではない。
子どもたちが、自分で考えることをやめさせられてしまう構造への違和感から生まれた言葉なのである。

言われた通りにやる。
なぜそれをやるのかは考えない。
コンディションが悪くても、休むという発想を持たない。
指導者の言葉が絶対で、自分の感覚は後回しになる。

そうした状態では、選手は自分で自分を守れない。
たとえ一時的に結果が出たとしても、自分で調整する力も、判断する力も、未来を設計する力も育たない。

横山さんが目指したのは、そうした「従順な選手」ではなかった。
知識を持ち、自分の状態を理解し、自分の頭で考えられる選手である。

その入口として、横山さんが重視したのがフィットネスやトレーニングだった。
なぜなら、技術や戦術よりも、フィジカルの領域のほうが比較的ロジカルに構築しやすいからである。どういう負荷をかければどう変わるのか。何のためにこのメニューをやるのか。今日の身体の状態はどうなのか。そうしたことを、明確に言語化しやすい。

だから横山さんは、トレーニングを通して、子どもたちに「考える習慣」を渡そうとした。
最初は知識を入れる。
だが、その先は自分で考えさせる。
自分でメニューを組ませ、その理由を問う。
今日疲れているなら、どう調整するのか。
この重さが本当に必要なのか。
無理をすることと、積み上げることは違うのではないか。

時には、コンディションが悪ければ帰らせることもある。
それは甘やかしではない。
目的と手段を結びつけるための学びである。
強くなるために来ているのに、疲労を無視して無理をする。集中するために来ているのに、漫然と時間を使う。そうした曖昧さを、そのままにはしないのである。

横山さんにとって「脱理不尽」とは、反抗のスローガンではない。
自分の頭で考えることを取り戻すための言葉であり、子どもたちが自分の人生の主体になるための入り口なのである。

 

第3章:一人では届かない——現場で見えた限界と、独立という決断

大学で知識と言語化に出会い、「教えること」の面白さを知った横山さんは、その後、自然な流れで指導の現場へと進んでいく。

就職活動をして企業を選んだというより、すでに指導の現場に入り込んでいたという感覚に近かったのかもしれない。アルバイトとして関わる中で、そのまま「入ってくれ」と声をかけられ、教育とスポーツの現場で働き始めた。
根底にあったのは、学びたいという欲だった。
もっと知りたい。
もっと伝えたい。
どうすれば子どもたちは良くなるのか。
その問いを持ちながら、横山さんは現場に立ち続けたのである。

前職では、プール、体操、サッカー、キャンプなど、さまざまな活動を通じて子どもたちと関わった。現場経験は長く、やがてスポーツ系の専門学校でも教えるようになり、教頭という立場も担うようになっていく。
教育の現場の中で、ただ教える側に立つだけではなく、仕組みを考える立場へと少しずつ視野が広がっていったのである。

この頃の横山さんは、目の前の一人ひとりに向き合いながらも、同時に別のことも考えていた。
自分がどれだけ一生懸命伝えても、一人で届けられる人数には限界がある、という現実である。

一週間で関われる人数は、延べで二百人ほど。
もちろん、それは決して少ない数ではない。
だが、文化を変えるという視点に立ったとき、それでも足りない。
二百人に伝えることはできても、その先に広がっていかなければ、大きな流れは変わらない。

そこで横山さんの中に生まれたのが、「指導者の指導者になりたい」という発想だった。
もし、自分と同じような考えを持つ指導者が十人いれば、届く人数は一気に増える。
一人で二百人に伝えるより、十人の指導者に伝え、その先で二千人に届く方が、文化は変わりやすい。
つまり、選手だけを育てていては足りない。
指導者を育てなければならない。
この視点が、横山さんの中で徐々に明確になっていった。

さらに現場に立ち続ける中で、もう一つ見えてきたことがある。
それは、「伝える時間」が短すぎるということである。

高校から、あるいは専門学校から関わっても、時間には限りがある。
二年間では短い。
本当に考え方を変えたいのであれば、もっと早い段階から、もっと長い時間をかけて関わる必要がある。
知識を入れ、体感させ、成功体験を積み重ね、少しずつ自分のものにしていく。そこにはどうしても時間がいる。

この頃にはもう、横山さんの中で今の事業の原型がかなり見えていたのだと思う。
ユースアスリートに早い段階から長く関わること。
フィットネスやトレーニングを入口に、ロジカルに考える力を育てること。
そして、その思想を持った指導者を増やしていくこと。
そうした循環を作らなければ、健康・スポーツ文化は変わらない。

横山さんは、この構想を組織の中でも提案していた。
理念だけではなく、設計まで含めてである。
どういう形で始めるのか。
どう収益化するのか。
どれくらいで投資回収できるのか。
生きがい先行の理想論ではなく、現実に成立する事業として構想を練っていた。

何度も修正した。
指摘された点を一つひとつ潰した。
壁打ちを重ね、穴を埋め、通る形を真剣に探った。

けれど、最終的に組織では実現しなかった。
理由は、単純な企画の完成度だけではなかった。
最後に立ちはだかったのは、「判断」という壁だったのである。

ここが悪い、あそこが悪い、という話であれば、直すことができる。
だが、最後に「やらない」という判断が下れば、それ以上は前に進まない。
横山さんはそのとき、理念があっても、設計があっても、組織を動かすことの難しさを痛感したのだと思う。

しかし、その経験は無駄にはならなかった。
むしろ、その時間があったからこそ、自分が本当にやりたいことがはっきりした。

ここでできないのであれば、自分でやるしかない。
この考えにたどり着いたとき、独立は衝動ではなく、必然になっていた。

2022年、横山さんは独立する。
それは、組織の中で何年もかけて育ててきた構想を、自分の責任で形にする決断だった。
何となく始めた事業ではない。
世の流れを見てジムを開いたのでもない。
自分が必要だと信じたものを、自分で証明するためのスタートだったのである。

だからこそ、今の事業には一本芯が通っている。
フィジカルスクールをやる理由も、ユースアスリートを中心に置く理由も、指導の現場で「考える力」を重視する理由も、すべてが一つにつながっている。

通らなかったことを、恨みに変えない。
理解されなかったことを、愚痴に変えない。
届かなかったなら、自分の手で作る。
横山さんの歩みを見ていると、その態度そのものが、今の思想を支えているのだと分かる。

第4章:トレステは“夢への最初の駅”——好きなまま育つための場所

横山さんがつくった場は、単なるトレーニングジムではない。
そこには、はっきりとした思想が込められている。

「トレステ」という名前は、トレーニングステーションの略である。だが、横山さんにとって大事だったのは、「駅」という言葉を、どうしても入れたかったのだという。

駅は、日常の中にある。
誰もが使う。
出発点にもなるし、途中の通過点にもなる。
一度降りてもいいし、また乗り直してもいい。
目的地に向かうために、いったん集まり、次の場所へ向かっていく。

横山さんは、そのイメージを子どもたちの成長に重ねている。
夢をつかむために鍛える、最初の駅。
それがトレステなのである。

途中乗車でもいい。
途中下車してもいい。
一度離れて、また戻ってきてもいい。
大事なのは、その子が自分の夢に向かう道のどこかで、この場所が起点になることだ。

選手を囲い込みたいわけではない。
自分のところだけで完結させたいわけでもない。
その子が、自分の人生を進んでいくための土台を渡したいのである。

現在、トレステの主力事業はフィジカルスクールである。
今年からは小学校二年生のクラスもでき、ユースアスリートがより早い段階から通えるようになった。高3まで、あるいはその先まで関わることもできる。ここで横山さんが重視しているのは、「年数」と「人数」である。

三か月で人は大きく変わらない。
一年で完全に価値観が変わるわけでもない。
だが、五年、十年と関わることができれば、その子の中に残るものは確実に大きくなる。しかも、その人数が増えていけば、やがて周囲にも影響が広がる。子どもたちが成長し、仲間に伝え、指導者になるかもしれない。そうして少しずつ文化が変わっていく。

だからトレステは、短期的に体を鍛える場所では終わらない。
長く関わり、考え方を育て、好きな競技を好きなまま続けていくための場所なのである。

施設の設計にも、その思想は表れている。
一般的なジムと違い、トレステは金曜と土曜が休みである。なぜなら、アスリートにとって日曜の試合が重要だからだ。必要のないタイミングで筋トレをすれば、パフォーマンスを落とす。子どもたちの競技生活を本気で考えるなら、その休み方になる。

利用者の構成も特徴的である。
一番多いのは子どもたち。
次が法人会員。
一般の利用者はほんの一部だという。

しかも、その法人会員は、単なる売上の柱という以上の意味を持っている。子どもたちが安く通えるようにするための基盤でもあるのである。利益が必要ないわけではない。事業である以上、継続するためには収益は不可欠だ。だが、横山さんは利益の取り方を、自分の思想と切り離していない。大人の収益基盤を整え、そのうえで子どもたちが通いやすい環境を作る。この設計そのものが、文化を変えるための現実的な方法になっている。

トレステは、たまり場でもあるという。
けれど、ただ緩い場所ではない。
何をしに来たのか。
何のために鍛えるのか。
その目的は、常に問われる。

この厳しさと自由さの両立が、横山さんの場づくりの面白さである。
考えずに従う場所ではない。
好き勝手にする場所でもない。
自分で考え、目的を持ち、自分の意思で積み重ねる場所。
その意味でトレステは、横山さんの思想が最も分かりやすく形になった場所なのである。

第5章:変えたいのは勝ち方ではない——子どもたちの未来と、文化の循環

横山さんが変えたいのは、練習メニューだけではない。
試合の勝ち方だけでもない。
もっと言えば、教育制度そのものを直接変えたいと考えているわけでもない。

文科省が変えるべきものは、文科省が変える。
学校制度が抱える問題は、制度の中で動く部分も大きい。
だから横山さんは、自分にできることをはっきり見ている。

子どもたちが、自分で考え、工夫し、成功体験を得ながら、人生を楽しめる人になること。
そのための環境をつくること。
そこにこそ、横山さんの目線は向いている。

日本人は、どこかで「誰かが決めたレール」に乗ることに慣れてしまっている。手を挙げない。疑問を口にしない。考えるより、従うほうが楽だからである。もちろん、その中にも日本人の良さはあるであろう。秩序や協調性は大切だ。だが、それだけでは、自分の人生を自分で生きている感覚は育ちにくい。

横山さんは、それをスポーツの現場で見てきた。
そして同時に、スポーツには、その流れを変える力があるとも感じている。

自分で考えてメニューを組む。
試してみる。
少し変わる。
できなかったことができるようになる。
その経験を通して、「自分で工夫すれば前に進める」という実感が生まれる。これは、競技力の向上だけにとどまらない。人生を生きていくうえでの感覚そのものに関わる。

だから横山さんは、子どもたちに単に強くなってほしいのではない。
自分の人生を楽しめる人になってほしいのである。

その延長線上にあるのが、最終的な構想として語られた「トレーナースクール」のような学校づくりである。正しい知識を持つ指導者を育てる。そうして育った指導者がジュニア世代と関わる。ジュニアが変われば、次の世代の景色も変わる。その循環が生まれれば、健康・スポーツ文化は確実に変わっていく。

横山さんが見ているのは、単なる事業拡大ではない。
フィジカルスクールを増やすのも、売上のためだけではない。
人数を増やすこと。年数を積み重ねること。
その掛け算によってしか、文化は変わらないと知っているからである。

その文化の核にあるのは、あくまで「好き」である。
サッカーが好き。
バスケが好き。
ラグビーが好き。
スポーツが好き。
その好きという気持ちを失わずにいられることが、どれだけ大切かを、横山さんは自分の人生を通して知っている。

だからこそ、横山さんのIKIGAIは、「子どもたちの未来を良くすること」へと収れんしていく。
自分のように、知識がないまま遠回りし、夢を絶たれる子を減らしたい。
好きなものを、好きなまま追いかけられる社会をつくりたい。
そのために、自分の知っていることを渡し、場を作り、指導者を育て、文化を変えていく。

横山さんの言葉を聞いていると、そこにあるのは怒りだけではないと分かる。
理不尽を壊したい。
それは確かである。
だが、その奥にはもっと深い願いがある。
子どもたちが、好きなことを、好きなまま続けられること。
そのための土台を、大人が責任を持って整えること。
横山さんがやっているのは、まさにその営みなのである。

あとがき

横山さんのお話を伺っていて、何度も胸を打たれたのは、「努力」をめぐる見方が根本から揺さぶられたからである。

私たちはつい、努力はそれだけで尊いものだと思ってしまう。
苦しさに耐えること。
言われたことをやり切ること。
弱音を吐かずに積み重ねること。
そこに美しさを感じる文化は、日本に深く根づいていると思う。
私自身もその美徳を信じていた。
努力しても報われなかった悔しさも分かる。

そしてけれど横山さんの歩みを聞いていると、
努力だけでは足りないのだと分かる。
正しい知識がなければ、努力は人を守らない。
むしろ、真面目な人ほど自分を追い込み、壊してしまう。
努力の量ではなく、努力をどう理解し、どう設計し、どう意味づけるのか。そこまで含めて初めて、その努力は未来につながっていくのだと思わされた。

そして、もう一つ強く感じたのは、横山さんが「自分が苦しんだから、次の世代も同じように苦しむべきだ」とは考えていないことだった。

日本には、ときにそうした連鎖がある。
自分も厳しくされたのだから、お前も耐えろ。
自分も理不尽を通ってきたのだから、お前もそこを越えろ。

だが横山さんは、そこに立たない。
自分の時に足りなかったものを学び直し、それを次の世代に渡そうとしている。自分が知らなかったことを、子どもたちには知ったうえで夢を追ってほしいと願っている。

その姿勢に、私はとても深いIKIGAIを感じた。

指導とは、ただ上手くすることではないのかもしれない。
強くすることでも、勝たせることでも、ましてや従わせることでもない。
その人が、自分の人生を自分で生きられるようにすること。
好きなものを、好きなまま追い続けられるように支えること。
横山さんの思想は、その本質を静かに、しかし強く示していた。

スポーツ文化を変える。
それは大きな言葉である。

だが横山さんの用に当たり前を変えようとする人がいなければ、未来は変わらない。

好きなことを、好きなまま続けられることは、当たり前ではない。
それは、今の理不尽を見過ごさず、考える力を手渡し、未来への駅をつくろうとするときにだけ、次の世代へ受け渡されていく。
横山純一郎さんの歩みは、そのことを力強く教えてくれた。

そして横山さんの作る駅が大きくなれば大きくなるほど
IKIGAIは生まれていくのだろう。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

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