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「土に還るものづくり」を、現場から未来へ—— 女性建築プロデューサーの挑戦
岩松あつみ
建築プロデューサー
熊本県益城郡御船町
あなたは、自分の足元にある“土”を、どれだけ見つめたことがあるだろうか。
私たちが毎日歩いているその大地に、ただの「地面」としてではなく、
100年かけて育まれる“命の層”として、心を向けたことがあるだろうか。
1センチの土ができるまでに、かかる時間は100年——。
葉が落ち、虫が食べ、やがて朽ち、積み重なってようやく、
ひと握りの豊かな土が生まれる。
その土の上に、私たちは暮らしている。
「建築は、自然と人間の“境界”をつくる仕事です。
でも私は、もう一度、“還る”という発想で建築を問い直したかった」
そう語るのは、建築士であり、現場監督として20年以上現場を歩み、
現在は“土に還る建築”を探求し続ける女性建築プロデューサー・岩松あつみさんだ。
現場で見てきたのは、誇り高き職人の手仕事と、
同時に、建築業界に根を張る理不尽と不正。
価格の“ぼったくり”、仲介による中抜き構造、
そして左官という伝統技術が正当に評価されずに消えていく現実。
——「このままでは、本当に大切なものが失われてしまう」
文化財を守るための漆喰。土と石灰だけでつくられ、やがて土に還る素材。
それを受け継ぎ、次世代へ繋ぐことができる左官職人は、今や全国にわずか4万人。
しかも、その多くが60代を超えている。
「還らないものづくり」と「還るものづくり」。
その選択が、これからの日本の未来を分ける。
だからこそ岩松さんは、建築も“商品”ではなく“循環”として捉え直し、
あらゆる領域を横断しながら、手仕事の価値と生きた思想を社会に残している。
土、手、命、感謝、そして未来。
それらを繋ぎなおす建築の仕事は、
生半可な作業量ではない。けれど、確かに“誠”がある。
この物語は、
日本の“道”を生きる一人の女性建築プロデューサーが、
現場というリアルから問い続けた、「つくること」と「還ること」の記録である。
「感謝する」とは何か。
その深さは、ここにある。
第1章|はじまりは、いつも“自然”と“道”の中にあった
「“空”を見ている時間が、いちばん落ち着くんです」
岩松あつみさんの言葉に、一瞬、空気がふっと静かになった気がした。
左官、漆喰、現場管理、文化財——
建築のプロフェッショナルとして語られる彼女の仕事には、常に“自然”へのまなざしがある。
その原点にあるのが、日本古来の「道」の精神だった。
書道、空手道——幼い頃から彼女は「型」を通して自分と向き合ってきた。
ただ勝つためではなく、誰かを打ち負かすためでもない。
正しく立ち、正しく踏み、正しく向き合う。そのなかに、「自分を律すること」「相手を敬うこと」が自然と宿っていた。
「“道”って、最後は“感謝”にたどり着くんですよね。技術じゃなくて“姿勢”が問われる」
彼女のこの言葉は、のちに“ものづくり”に向かう彼女の美学と深く繋がっていく。
だがその“道”は、最初から建築へと続いていたわけではなかった。
高校時代、彼女が目指していたのは「音楽の道」だった。
イタリア歌曲を学び、NHKの“歌のお姉さん”になる——。
そんな夢を持ち、毎日ピアノと声楽の稽古に打ち込んでいた。
だが、その夢は受験直前に突然閉ざされることになる。
センター試験も終え、もう志望校を変えることができないタイミングだった。
そのとき、母がふと口にした。
「音大って、4年間で1000万円かかるらしいよ」
母子家庭で育った彼女にとって、それは現実を突きつけられる一言だった。
怒るでも泣くでもなく、静かに“夢をやめよう”と決めた。
「じゃあ……音楽の背景にある建築とか、インテリアにしようかな」
建物そのものより、最初は“舞台装置”としての空間に惹かれていた。
けれど、文系だった彼女が理系の建築学科に転向するのは簡単ではなかった。
そんな折、偶然にもその年から熊本に“夜間大学”が新設されていた。
昼間はベスト電器で働き、夕方から大学に通う——月曜から土曜まで、ほぼ無休の生活。
そして彼女は、そこで“人生をかけて学ぶ大人たち”と出会う。
その夜間大学の初年度生の多くは、40代以上の社長や現場の職人たち。
「遊ぶ」のではなく、「学ぶ」ことを選んだ人たちだった。
「授業が終わってもみんな帰らないんです。缶コーヒー片手に、“今日の授業どうだった?”ってずっと話してて……」
自分よりずっと年上の大人たちが、本気で学び、本気で語る姿。
それは彼女にとって衝撃だった。
「学びって、“与えられるもの”じゃない。自分で“取りに行くもの”なんだ」
音楽の夢を諦めた悔しさは、いつしか「学びの誇り」へと変わっていった。
お金や時間では測れない、誠実に“何か”を極めようとする人たちの背中。
彼女はそこで、“道”と“自然”と“学び”を三本の柱とする人生を歩みはじめる。
第2章|「そこの女」と呼ばれて——現場管理者として立った、命を預かる場所
コンクリートがむき出しの足場に立ち、鉄骨の間を縫うように職人たちが動く。
その一人ひとりに、命の重みが宿っていた。だからこそ、現場管理者という仕事は、「判断」を積み重ね、「信頼」を背負い、「責任」を引き受ける、極めて人間的な職業だった。
岩松さんが建築の世界に足を踏み入れたのは、大学卒業後すぐのことだった。
最初に配属されたのは、鉄骨工事の現場だった。大型ショッピングモールや空港施設といった巨大な建築物。軽量鉄骨を搬入し、構造を組み上げ、工程と安全を管理する。いわゆる「ゼネコン」の現場の鉄骨を組み立てる業務管理。
——「おい、そこの女」
名を名乗る必要すらない、という無言のメッセージ。
まだ20代、しかも新卒の女性。現場は圧倒的な男社会で、女性管理者など“異物”のような存在だった。
「正直、舐められていたと思います。でも、それを跳ね返すしかなかった」
自らを律するように、彼女は声を出し、時間を守り、数字を見た。職人に敬意を払い、かといって媚びず、堂々と立つ。
その姿勢は少しずつ現場に伝わり、やがて「おう、岩松さん」と名前で呼ばれるようになった。
しかし現場には、今では考えられないような“あるある”が存在していた。
くわえタバコで作業をする者。ヘルメットを外す者。昼に酒を飲む者。現場で小便をする者。
そのどれもが、“職人の自由”として黙認されていた時代。注意すれば反発され、放置すれば事故につながる。
そんな環境のなかで、岩松さんは毎日職人に向き合った。
「職人さんたちは“半グレ”みたいな扱いを受けていました。でも、彼らがいなければ、建物は建たない」
尊敬されない職業に、誇りは宿らない。
彼女は“管理”するのではなく、“尊重”することで、職人たちとの関係を築いていった。
「死亡事故がなかったのが救いでした。でも、小さな怪我やヒヤリハットは発生した。正直それが1番辛かった。常に、職人の安全と求められる建物の品質には執心した。
そんななかで彼女が見出したのが、「建築」という仕事の本質だった。
ただ“建てる”だけではない。素材を知り、人を見て、工程を読み、気象や地盤と会話する。
——つまり、“生き物”としての建物と向き合うこと。
「私たちの仕事は、“つくる”ことだけじゃない。“生かす”ことなんです」
建築は“命の仕事”だった。
その思いが、やがて「土に還るものづくり」への探求へとつながっていく。
今思えば、現場での日々は、感謝を育む“道場”のようなものだった。
第3章|「倒産」と「おんぶ紐」——母として、生きる力としての現場
18年間、現場を走り続けてきた——
その間に、職人の癖も、材料の声も、図面に現れない危機も、すべて“肌で感じられる”ようになっていた。岩松あつみさんは、誰が見ても一人前の現場管理者として認められる存在になっていた。
しかし、ある日突然、その“土台”が崩れる。
彼女が勤めていた建築会社が、倒産したのだ。
「びっくりしたというより、ああ、やっぱりかって思いました。手形が割れなくなっていたから、会社の空気で分かるんですよね」
当時をそう振り返る岩松さんの表情には、どこか穏やかさがあった。
倒産は、働く人間にとっては“終わり”に近い。
だが彼女はすぐ前を見ていた。
見るしかなかった。
なぜなら、彼女はそのとき——二児の母だった。
しかも、まだ下の子は1歳にも満たなかった。
会社が倒産すると同時に、頼りにしていた育児休業給付金も止まった。
「育休」ではなく、「育児×現場」の日々が、突如はじまった。
「おんぶ紐で子どもを背負って現場に行っていました。
現場監督なのに、赤ちゃん連れてるって、普通じゃないですよね(笑)」
それでも、彼女は立ち続けた。
誰かのせいにせず、社会のせいにせず、ただ“いま自分ができること”をやり続けた。
それが、母であり、現場人間である岩松さんの選んだ生き方だった。
縁あって木造住宅の現場監督として新たな職場へ。
それは、鉄骨ともRC造とも違う、“手仕事と対話”が中心の世界だった。
「鉄骨の現場では“どう工程を進めるか”ばかり考えていたけど、
木造では“誰とつくるか”が大事になってくるんです」
大工たちの丁寧な技、図面に現れない工夫、手触りでわかる“誠実さ”。
そこには、かつて“道”の稽古で感じていた「型の美学」「相手を尊ぶ心」があった。
そして何より、
「感謝の涙をもらう仕事って、やっぱりいいな」
お引き渡しの時に、お客様から「ありがとう」と言われる瞬間。
それは、数字でも評価でもなく、自分の生き方そのものが誰かのためになった証だった。
現場に立ち続けながら、彼女の価値観も少しずつ昇華されていった。
“お金のため”ではなく、
“誇りのため”に仕事をすること。
そして、“家族のため”だけでなく、
“次世代のため”に技をつなぐこと。
倒産も、育児も、職場の変化も、すべては「生き方の軌道修正」だった。
そのすべてを経て、岩松さんは、
“建てる”を超え、“生きる”を築く人になっていった。

第4章|日本を残すために——“独立”が導いた使命のかたち
18年間の現場経験、木造での再挑戦、子育てと両立した3年間。
そのすべてを経て、岩松あつみさんは独立を決意する。
「3年間で、必要なものは全部吸収しようと決めてたんです。だから迷いはなかったですね」
とはいえ、最初から順風満帆ではなかった。
会社員時代のように現場を回す日々とは違い、独立直後は小さな業務からのスタートだった。
建築の仕事は、そもそも“信用”がなければ受注できない。
まずは地元の公共機関から依頼された補助金申請のサポートや、書類業務、コンサル業務の下請けなどを一つずつ丁寧に引き受けていった。
「でも、その中で見えてきたんです。“この業界の仕組み自体が、誰かを泣かせている”って」
ぼったくりのような価格設定。
仲介業者による過度な中抜き。
そして、“建てる側”と“依頼する側”の間にある、知識格差による搾取の構造。
「たとえば、素人の高齢者が家を建てようとしたとき、見積りの内容がまったくわからない。そこにつけ込む業者がいる。そんな現実が、あちこちにあって」
岩松さんは怒りを口にするのではなく、ただ静かに言った。
「誠実にやる人が損をする世界に、未来はないと思ったんです」
だからこそ、“適正価格”で、“顔の見える仕事”を貫くと決めた。
その頃、彼女はもう一つの大きな出会いを果たす。
それが、文化財修復にも用いられる「貝灰漆喰」という伝統素材だった。
有明海の貝と海藻と麻のスサから作られる素材。そして時間だけで生まれるその素材は、100%自然由来で土に還る建材。
そしてこの漆喰を扱えるのは、熟練の左官職人だけだった。
「これは建材じゃない。文化そのものだと思ったんです」
しかし、その文化を支える左官職人たちの現状は深刻だった。
全国にわずか4万人。しかもその3分の1が60代以上という、いわば“絶滅危惧職”。
貝灰漆喰は、左官職人にしか塗れない。
つまり、塗れる人がいなくなれば、文化財を本来の素材で守ることができなくなる。
伝統が、事実上“消える”ことを意味するのだ。
「職人の技術って、“今”伝えないと、10年後にはもう手遅れなんです」
そう感じた彼女は、貝灰漆喰を扱う左官会社に取締役として参画。
自身の“現場で培った感覚”と“誠実に伝える力”を活かして、左官の魅力と価値を社会に届ける役割を引き受けた。
そこから、彼女の人生は「建てる」から「残す」へと進化していく。
日本を残すために、未来をつくるために。
現場の“当事者”として、そして“次世代のための翻訳者”として。
彼女はいま、「建築という名の文化保存活動」に、全身全霊で挑んでいる。

第5章|「誠実にやる」を貫く——建築業界の波を超えて、生き方を築く
「きちんと誠実に仕事をしていた会社だけが、最後に残るんです」
岩松さんは、そう言って笑った。
それは、ただの“きれいごと”ではない。
20年以上、現場の最前線で建築の光も闇も見てきた人間の、確信に満ちた言葉だった。
建築業界には、「20年に一度、大きな波が来る」という言い伝えがある。
バブル崩壊、リーマンショック、資材高騰、コロナ禍、そしていまの円安——。
大きな時代のうねりに直撃し、毎回、倒産や廃業の波が押し寄せる。
「工務店は“建てて終わり”のところも多い。でも、本当に誠実な会社は、“建てた後”のことまでちゃんと考えてる」
利益を最優先にするなら、素材も人手も削った方がコストは抑えられる。
だが、それでは長く住めない。命を守る建物はつくれない。
だから岩松さんは、“誠実にやる”を選び続けてきた。
• 素材を偽らない。
• できないことは「できない」と伝える。
• 最後まで現場に立ち会い、「ありがとう」と心から言ってもらえる仕事をする。
それは、利益を最短で出すための“効率の良い仕事”ではない。
でも、「次もお願いね」と言ってもらえる、“信頼を積む仕事”だった。
ときには、こんなこともあった。
企業案件で1億7,000万円の見積もりが提示された案件を、1億3,000万円まで抑えた。
建築プロデューサーとしての経験と知識で、適正な価格に調整することで、依頼主からも職人からも感謝された。
「あの仕事が“適正価格”の本質を教えてくれたと思うんです。誠実にやれば、ちゃんと喜んでもらえる」
そう語る背景には、建築業界の“浮き沈み”を誰よりも見てきた実感がある。
たとえば、手形が紙だった時代。
ゼネコンからの支払いが遅れ、倒産する工務店が相次いだ。
景気が良くなると参入者が一気に増え、逆に悪くなると一斉にいなくなる。
「派手にやってるところほど、波に弱いんです。見た目ばかりに投資して、現場の声を聞いてないから」
だからこそ、岩松さんは“足元”を見つめ続けてきた。
毎朝、現場に立ち、職人と話し、素材に触れ、家族の暮らしを想像する。
「建築って、“人の命を預かる仕事”なんですよ。誠実じゃなきゃ、やれないんです」
——誠実に建てる。
——時間をかけてつくる。
——土に還るものを、手で残す。
効率では測れない、“生き方としての仕事”。
それが、岩松あつみさんの選んだ道だった。
彼女の背中にあるのは、数字ではなく、“信頼”と“感謝”。
それは、どれだけ時代が変わっても、決して色あせることのない報酬だった。
第6章|社会に根を張る建築——“0.2秒の返事”でつなぐ、未来への橋
「岩松さん、ちょっとこういうの、一緒にやってみませんか?」
そう声をかけられたとき、彼女の返事はいつも決まっている。「はい、やります」——0.2秒で。
迷わない、計算しない。
頭よりも先に、心で“やるべきだ”と感じたなら、まず動く。
その哲学は、ある自己啓発家の言葉がきっかけだった。
「返事は0.2秒で。“何のお役に立てるか”は、働きながら考えなさい」
合理的に考えていたら、いつまで経っても人間は変われない。
だからこそ、岩松さんはこの言葉を信じ、「まず受ける」ことで自分の可能性を広げてきた。
行政との景観協議、建築士会での地域活動、教育現場での授業——
気づけば彼女の仕事は、“建てること”だけにとどまらなくなっていた。
「最初は“建築士”という肩書きでした。でも気づいたら、地域のお困りごと、町の未来の話……いつの間にか“相談される人”になってたんです」
社会的な信頼と、経済的な報酬。
この2つを同時に得るのは難しい。多くの人が、どちらか一方に偏る。
だが岩松さんは言う。
「社会性は、続ければ“信用”になる。そして信用は、ちゃんと“仕事”になる」
見返りを求めず、まずは動く。
すると、地域の中に“信頼の根”が張られていく。
それが5年、10年と積み重なると、仕事になる。しかも、“お願いされる”仕事になる。
岩松さんが理想とするのは、昭和のご近所づきあいのような仕事観だ。
通りすがりの子どもに声をかけても怒られなかった時代。
何かあったら、誰かが助けてくれた時代。
「あの頃の“助け合い”って、義務じゃなく“自然”だったと思うんですよね」
それは効率ではなく、“心の経済”だった。
そこに戻ることはできなくても、未来に“昇華”することはできると、彼女は信じている。
いま、彼女が本気で考えているのは、“建築の力で地域を耕す”ことだ。
空き家を生かす。子どもの居場所を作る。
手仕事と食を掛け合わせて、暮らしの循環を生む。
「左官って、塗るだけじゃないんです。場を整える、っていう感覚なんです。
それって、“人の関係性”にも応用できると思ってて」
建築を「カタチ」から、「関係性」へ——
それは、土を扱ってきた者にしか辿り着けない感覚だった。
「誰かの役に立てた」と思える瞬間が、いちばん嬉しいんです。
岩松さんが目指しているのは、目先の数字ではなく、感謝される“関係資本”の蓄積。
それは、決して派手ではない。
けれど、100年後の町を想像しながら、目の前の人に“はい”と答える。
その姿にこそ、建築の未来が宿っているのかもしれない。
第7章|IKIGAIとは、「感謝を重ねる力」——AI時代に、未完成を生きるということ
「ありがとうって、誰かに言われると、自分が“いい状態”にいるなって分かるんです」
そう語る岩松さんの口調は、優しく穏やかだった。
感謝される。感謝できる。
それは、数字でも評価でもない、“人間らしさ”の原点なのかもしれない。
いま、私たちの社会はかつてない速度で変化している。
AIが情報を瞬時に整理し、ミスなく正解を出す時代。
そこでは「完璧さ」や「合理性」が最上とされ、“未完成な人間”は、どこか劣った存在に見えてしまう。
けれど岩松さんは、そうは思わない。
「減点法で自分を測っても、人生は楽しくならない」
何かが欠けている。うまくできない。正しく進めない——
だからこそ、人は悩み、考え、誰かと支え合う。
未完全だからこそ、可能性がある。
不確実だからこそ、探究できる。
「完璧じゃないから面白い。建築だってそうなんです。
どんなに計画しても、現場では“想定外”が起きる。
でもその中で、どう調和をとっていくかが大事なんです」
岩松さんはそれを、“現場の哲学”と呼ぶ。
そしてその哲学の根底には、「感謝」というキーワードがある。
「感謝って、“今この瞬間”のことだけじゃないんです」
過去に関わってくれた人たち。
自分を支えてくれた家族や仲間。
見えないところで働いてくれている職人や先人たち。
そして、まだ出会っていない、未来の誰かのことも——
感謝とは、時間を超えて“つながる力”
「IKIGAIって、何ですか?」
そう聞くと、岩松さんは少し考えてから、こう言った。
「“感謝できる自分であること”かもしれません」
倒産もあった。育児との両立もあった。偏見や不正、報われない努力も山ほどあった。
それでも彼女は、誰かのせいにしなかった。自分を嫌いにならなかった。
それは、自分を“感謝できる状態”に保ち続ける、強さと優しさだった。
「0点から100点を目指すほうが、人生は面白い」
加点していく生き方。
たとえ道が見えなくても、一歩ずつ“自分の点”を重ねていく生き方。
岩松さんが築いてきたのは、まさにその歩みだった。
IKIGAIは、感謝を重ねた先に浮かび上がる“道”なのかもしれない。
いま在ることに、感謝する。
過去に出会った人や出来事に、感謝する。
そして、まだ見ぬ未来にも、感謝を送る。
人生は、常に未完成だ。
だからこそ、人は試され、磨かれ、育っていく。
効率や正解ばかりが求められる現代。
けれど岩松あつみさんは、あえて不確実な道を、楽しみながら進んでいる。
そこには、建築という「技術」だけではなく、
人として生きる「姿勢」がある。
土に還るものを選び、感謝を積み重ねながら——
100年後の誰かのために、いまを耕している。
そんな生き方は魂が震えるほど幸せなのだろう。
あとがき
「足元を見る」——
その言葉の本当の意味を、私はずっと勘違いしていた気がする。
現実をみること。現実を整理すること。
足元をみろよっていうのは、自分にとっては挑戦しない言い訳として使えて、
他者からいわれるなら、身の程をわきまえろという皮肉にも感じていた。
でも、岩松さんと出会い、こう思った。
本当に“足元を見る人”は、誰よりも高く、誰よりも深く、生きている。
——100年かけて1cmしか育たない“土”の上に、
誰かの暮らしがあり、誰かの夢がある。
それを「ただの地面」として見過ごすか、
“命の層”として捉えるかで、人生の景色はまるで変わってくる。
そのことに気づくだけで、毎日の歩く意味が変わっていく。
そして未来のことを想いながら、今日を踏みしめる。
何世代先のことを考え、今を生きる。
私は昔、「努力は裏切らない」と信じてプロボクサーになった。
だけど、結果が出なかった。
才能のせいにして、逃げた。
何度も、人生を諦めようとした。
でも今なら分かる。
あのとき僕が必要としていたのは、“強さ”じゃない。
立ち直れる「土壌」だった。
揺れても、折れても、また立ち上がれる“根”のようなもの。
それは、誰かの「ありがとう」でできている。
誰かの「信じてるよ」でできている。
そして、自分が誰かに届けた「真心」でできている。
そういう“土”が、人を、生かす。
岩松さんは、まさにそれをずっと現場で見つめてきた人だった。
建築士であり、現場監督であり、母であり、文化を守る人。
合理性に流されるこの時代に、
彼女は未来を思い、“土に還る道”を選び続けている。
「建てる」のではなく、「還す」ために。
「残す」のではなく、「繋ぐ」ために。
それは、技術の話ではなく、生き方の話だ。
——誠実であること。
——誰かに感謝を渡しながら働くこと。
——数字ではなく、“命の濃度”で人生を感じること。
僕たちの足元には、確かに“土”がある。
それは、過去から預かった命でできている。
そして、未来に渡すために、今の僕らが守るべき“層”なのだ。
あなたにとって、譲れない“土”はなんですか?
それを探す旅こそが、生きるということではないだろうか。
この物語が、あなたの“根”を見つけるきっかけになりますように。
感謝の意を込めて。
IKIGAIコレクター
尾崎 弘師