都会でやりきった男は、故郷に帰った——“消滅可能性都市”を再生へ導く、提案型行政書士

久保田豊

久保田行政書士事務所

熊本県玉名郡南関町

その男は、東京を去った。

25年。

弁護士たちの背後で、複雑に入り組んだ法律の実務を担い、

裏社会すれすれの依頼、理不尽な要求、時に命の重みすら背負いながら、

久保田豊は「人のために何ができるか」を問い続けてきた。

勝てば報酬、負ければ無報酬。

“正義”という理想と、“成果”という現実のあいだで、

彼は闘い抜いた。

その信念を支えたのは、母から受け継いだ眼差し。

どんな相手にも、肩書きや境遇ではなく“人として”向き合う。

教育の現場で社会教育に尽くした母の背中が、

久保田さんにとっての「公平」の原点だった。

けれどある日、彼はふと立ち止まる。

——もう、この土地(東京)で果たすべき役目は終わった。

次は、“誰かを動かす側”に回ろう。

そう決めて彼が選んだ場所は、

生まれ故郷・熊本県玉名郡南関町だった。

若者は去り、空き家と山林が積み重なり、

高齢化が静かに進行するこの町は、

国が定める「消滅可能性都市」の一つ。

けれど、久保田さんにとってそれは

“終わる町”ではなかった。

“もう一度、動かせる町”だった。

彼は今、“提案型行政書士”として、

知られていない制度を掘り起こし、

行き場をなくした困りごとに光をあて、

制度と人、行政と現場、夢と課題を、ひとつずつつなぎ直している。

「制度は、ただの紙じゃない。

ちゃんと使えば、人の未来を動かせるんです。」

農地を抱えたまま途方に暮れる相続者、

シャッターを閉じた商店、

夢を描く若き創業者たち——

久保田さんは、それぞれの“想い”に、耳を澄ませている。

それは単なる手続きや書類の処理ではない。

町に、もう一度“灯り”をともす仕事だ。

これを読み終えたとき、あなたはきっと気づくだろう。

「自分にも、まだ灯せる場所がある」

「たとえひとりでも、始めていいのだ」と。

都会で“やりきった人”だけではない。

くじけた人も、迷った人も、まだ何者でもない人も——

灯りをともす権利は、すべての人にある。

第1章|正義に憧れた少年は、バブルに背を向けた

——金でも名声でもなく、“真っ直ぐ”を信じた青春

彼が最初に憧れたのは、テレビの中の“正義の人”だった。

弁護士という存在を知ったのは、小学生の頃。

それは、お金のためでも、名誉のためでもなかった。

ただ、誰かを守る姿が、どうしようもなくかっこよかった。

——それだけで、未来の形が決まった。

「強い者の味方じゃなく、困っている人の味方になりたい」

その思いを胸に、彼は法の道を目指した。

高校卒業後に選んだのは、東京の法学部。

時代はバブルの絶頂期。

就職活動をするだけで企業から交通費・宿泊費が出て、

学生たちは“就活で稼ぐ”時代だった。

でも、久保田さんは違った。

「俺は就職じゃない。司法試験を目指す」

そう決めて、大学に通いながら、法律事務所で働き始めた。

その弁護事務所の代表は、司法試験の予備校で講師も務めており、

働きながら、法を学び、司法試験に挑戦するという環境が整っていた。

昼は法律事務所で実務を学び、夜は予備校で勉強する。

体力も気力も削る日々だったが、彼にとっては制限の中での“最も適した環境”だった。

世の中が右に流れても、自分は左を選ぶ。

その“逆風に立つ強さ”こそが、久保田さんの武器だった。

しかし、現実は容赦なかった。

司法試験制度が大きく変わったのだ。

——法科大学院ルートの導入。

これにより、久保田さんのように働きながら地道に学ぶ“実務型”の挑戦者には不利な仕組みが制度として整ってしまった。

受験資格を得るためには、改めて大学院に通い直す必要があった。

働きながら、学費と時間を確保して大学院に通うのは、現実的に不可能だった。

弁護士への道を、断念する。

ただし、それは「夢を諦めた」ということではなかった。

「弁護士になれなくても、人のために生きる道はあるはずだ」

そう思い、学生時代から働いていた法律事務所で尽力することとした。

法の現場で、誰かの人生に寄り添う。

“陰の正義”を支える道を、自らの手で選んだのだった。

そして、彼の人生を支え続けるパートナーとの出会いも、ちょうどこの頃だった。

大学の後輩として出会った女性——のちに妻となる彼女は、

決して前に出て声を張るタイプではなかったけれど、

彼が進むべき道に迷ったとき、何度も“心の重心”を戻してくれた。

「信じる道を行けばいい」

そう言って背中を押してくれる、そのまなざしは、

久保田さんにとっての“静かな羅針盤”だった。

2章|修羅場をくぐった25年——“正義”と“現実”の狭間で

——人のために尽くしても、誰も報いてくれない世界で

法律の世界に入れば、世界が変わると思っていた。
正しさが通り、努力が報われ、誰かの涙に答えられる。
そう信じて、久保田さんは法の扉を叩いた。

だが、現実はあまりにも違っていた。

東京での25年。

久保田さんは、弁護士の背後で“裏方”として働き続けた。

役職はパラリーガル。

実務を支えるスペシャリストだった。

だが、そこにあったのは“正義”よりも“成果”だった。

完全成果型の報酬制度。

「勝てば報酬、負ければゼロ」——それが、この世界の常識。

どれだけ調査に時間をかけても、
どれだけ丁寧に書面を積み上げても、
最後に“勝てなければ”、報酬はゼロ。
そこには、「正しさ」を評価する場所などなかった。

正しさは、金にならない。

さらに、扱う案件には、裏の世界の匂いがつきまとった。

依頼人が勝手に“第三者”を動かし、

相手に圧力をかける。

「この弁護士は信用できない。裏でヤクザ使うわ」と

平然と言って、本当にやってしまう依頼人もいた。

久保田さんが直接関わったわけではない。

だが、その空気の中で仕事をするということは、

いつ自分に火の粉が降りかかるか分からないということだった。

実際、依頼人が起こした暴力事件で、事務所に刑事が事情聴取に来たこともある。

弁護士は「知らない」と答える。

たとえ知っていても、守秘義務があるから、言えない。

沈黙だけが、正義だった。

久保田さんは、その現実を黙って受け止めた。

責任とストレスは積み上がっていく。

それでも、辞めようとは思わなかった。

なぜか。

「あなただけが、話を聞いてくれた」

そう言ってくれる依頼人が、いたからだ。

借金に追われ、家族に見放され、

どこに行っても相手にされなかった人たち。

そういう人たちの、最後の拠り所になれる仕事だった。

法律では救えない人がいる。

でも、法律を“使いこなす”ことで、救える命もある。

久保田さんは、それを知っていた。

朝も夜もない日々。

神経が磨り減る、極度のプレッシャー。

それでも、「目の前の誰かのために」やり続けた。

そんな久保田さんが今でも手本としている出会いもあった。

それが最後に仕えたボス。

その人物は、元国会議員にして元大臣。

肩書きだけでなく、 “人のため”に法律を使う人だった。

破産や個人再生の案件を、報酬度外視で引き受ける。

「金がないなら、俺が立て替える」と言って、本当に出してしまう。

そんな姿を、久保田さんは何度も目の当たりにした。

正義を“語る”のではなく、

正義を“実行する”人だった。

久保田さんは、その背中に、

小学生の頃にテレビで見た“理想の弁護士”の姿を重ねた。

だが、そのボスが体調を崩し、事務所を畳むことになった。

そして数ヶ月後、この世を去った。

——その時、久保田さんは、ひとつの節目を感じた。

「この世界で、自分はやりきった」

そして、あのボスのもとで、

自分の“法を通して人を救う道”は、全うできたと心から思えた。

3章|母から受け継いだ、“公平”という哲学

——誰もが尊重される世界を、現実の中に築くために

東京での25年間。

久保田さんが最後まで手放さなかったものがある。

それは、「自分だけは、誰を相手にしても態度を変えない」という覚悟だった。

正しさが届かず、尽くしても報われない。
裏切りに傷つくこともあった。
それでも、心を荒ませずにいられたのは——

母から受け継いだ「公平」という物差しが、彼の中心にあったからだ。

久保田さんの母は、公務員として社会教育の最前線に立っていた人だった。

「すべての人が学び、語り合い、理解し合える社会をつくる」。

その信念のもとで、地域に根を張り、人生をかけて対話を重ねてきた。

久保田さんは、そんな母の背中を、少年の頃から見つめていた。

だからだろう。

彼にとって「相手を人間として見る」ことは、ごく自然な行為だった。

「どんな人でも、命の重さは変わらない。

だったら、その人の理解できるレベルまで降りて話せばいい。」

そのスタンスが、やがて依頼人たちの信頼を呼ぶようになっていく。

——だが、それでも東京というフィールドでは、限界があった。

人を対等に扱おうとすればするほど、

競争や効率を最優先する社会では、むしろ“浮く”こともある。

それでも久保田さんは、譲らなかった。

なぜなら、それこそが、母から受け継いだ“信念”だったからだ。

そして——

その哲学こそが、25年後のある日、彼に「次の道」を示してくれた。

それは久保田さんの中には、次の選択肢が自然に浮かび上がっていた。

「だったら次は、誰かの人生を“動かす側”に回ろう」

そして、彼がその次のフィールドとして選んだのが——

かつて育ち、そして今、消えかけている町。

熊本県玉名郡南関町だった。

4章|帰郷——それは、果たすべき使命だった

——東京から故郷・南関町へ、“責任を持って生きる”という選択

久保田豊、50歳。

弁護士の背後で法律の現場を支え続けてきた25年間を経て、

彼は、はっきりと次のステージを見据えていた。

それは“引退”でも“余生”でもない。

むしろここからが本番だった。

かつて育った町——熊本県玉名郡南関町。

人が減り、空き家が増え、山林が放置され、

「このまま消えていくのでは」と囁かれる消滅可能性都市。

だが、久保田さんにとってそれは“終わる町”ではなかった。

「もう一度、動かせる町」だった。

「誰も動かさないなら、僕が動かす。

 使われていない制度を使い、

 知られていない道を示し、

 誰かの“詰み”を“再起”に変えていく」

それは、士業の資格を持つ者にしかできない仕事だった。

東京では“裏方”だった。

でも今度は、誰かの背中ではなく、自分の足で立つと決めた。

“行政書士”——世間では「ただの手続き屋」と思われがちだ。

だが本来この資格は、法律と生活のあいだをつなぐ橋であり、

現場に最も近い実務者になり得る存在だ。

だったら、自分がその“新しい在り方”を示せばいい。

誰かの後ろではなく、誰かの一歩前を歩く行政書士として。

「提案する行政書士として、仕組みの死角を照らす」

「制度を届ける人間が、この町には必要だ」

思い出や懐かしさのために戻ったのではない。

誰かに頼まれたわけでもない。

——それでも、戻らずにはいられなかった。

この町には、

「知らない」ことで取り残されている人がいる。

制度の存在を知らず、山や畑を手放せず、

空き家の解体費用に苦しみ、

夢を抱いた若者は“創業の壁”にぶつかって諦めている。

そのすべてに、自分が“気づいてあげられる”なら。

気づくだけじゃない、動いて、伝えて、形にできるのなら——

「もう一度、人を動かす仕事がしたい」

「今度は“この町の未来”に、責任を持ちたい」

久保田さんの中に、もう迷いはなかった。

それは使命であり、覚悟だった。

そして彼は、50歳で起業した。

東京での25年が“終わり”ではなく、

この町の“始まり”につながるように。

新しい命を吹き込むために。

最愛の人と共に、この町の土を再び踏みしめた。

5章|変わらない町を前に、彼は何を見たか

——「仕組み」があっても、「動かす人」がいないという現実

起業してからの数ヶ月。

久保田さんは、ある“違和感”に何度も突き当たっていた。

制度は、すでに存在していた。

農地の相続、空き家の買取、創業支援、各種補助金——

国も県も、それなりに仕組みは整えていた。

けれど——誰も、それを使っていなかった。

「知らない」「調べない」「関わらない」。

その三拍子が、町に根づいていた。

いざ相談に乗ろうとしても、

「まあ、現状維持でええけん」と笑って済まされる。

空き家は空き家のまま、山林は眠ったまま。

何十年も変わらぬやり方に、住民たちはしがみついていた。

「人が減っていくのはわかっとる。

でも、わしゃ今まで通りでいい」

「この年になって、新しいことはせんでもよか」

まるで“衰退を受け入れること”が、暗黙の前提になっているかのようだった。

久保田さんの頭には、制度とアイデアが次々と浮かぶ。

けれど、相手の口から返ってくるのは、決まってひとこと——

「まあ、しょうがなかばい」

その言葉に、何度も打ちのめされた。

「制度がないわけじゃない。

夢を持つ人がいないわけでもない。

けれど——“動かす人”がいないのだ。」

久保田さんは気づいた。

制度を知っているだけでは、町は動かない。

行政は制度を“置くだけ”。

住民は、それを“見ているだけ”。

そして、自分がどれだけ丁寧に提案しても、

最初に返ってくるのは——

「役場がやってくれないと意味がない」という言葉だった。

そこにあったのは、根深い“行政依存”。

「自分で動く」という発想が、もともと育っていない。

変化を望むよりも、現状にとどまるほうが安心。

——そんな価値観が、この町の空気を支配していた。

相手にされない。期待されない。変化を望まれない。

それでも、久保田さんは諦めなかった。

なぜなら、“諦めていない人たち”も、確かに存在していたからだ。

地元を誰よりも大切に思う若者たち。

農地を守りたいという思いを抱える相続者。

「この町で子どもを育てたい」と語る移住者。

地方だからこそできる創業に、希望を託す夫婦。

その小さな“火種”は、たしかに町の中にある。

あとは、その火を絶やさぬように、風を送り続けるだけだ。

「この町を本気で変えようとしている人たちがいる。

だったら、僕がその背中を支える。」

久保田さんは、そう心に決めた。

誰に頼まれたわけでもない。

でも、自分がやらなければ、誰もやらない。

今日も彼は、営業先をまわる。

“めんどくさい”と敬遠される書類に目を通し、

皆んなが知らない制度の窓口に電話をかけ、

たった一人でも相談に来てくれたら、最後まで話を聞き抜く。

この町は、すぐには変わらない。

けれど、変えようとする人がいる限り、希望は消えない。

だから久保田さんは、「希望の接着剤」であり続けようと思っている。

制度と人、想いと仕組み。ばらばらなものを、つないでいく存在として。

そしていつか、この町にもう一度、火が灯る日が来ると信じて——

6章|制度と想いをつなぐ、“提案型行政書士”という生き方

——動かない社会を、動かすために

久保田さんの仕事は、いわゆる“行政書士”の枠を、とうに超えている。

彼がしているのは、ただの手続き代行ではない。

制度の翻訳者であり、現場の実践者であり、そして“つなぐ人”だ。

制度は、ただ存在するだけでは意味がない。

使えるように翻訳し、動く形にして、届けなければ——誰のためにもならない。

久保田さんは、それを痛いほど知っている。

だからこそ、彼は人の声を聞く。

「困っている」と言えない人にも、耳をすませる。

たとえば、相続された農地の問題。

「どうすればいいかわからない」

「固定資産税だけ払い続けている」

「いっそ誰かに譲りたいけれど、手放し方がわからない」

——そんな声に、久保田さんは制度を組み合わせて提案する。

「今は、国が農地や山林を引き受ける制度があるんですよ」(相続土地国庫帰属制度)

「更地にする必要がありますが、それも一緒に考えていきましょう」

誰もが“詰み”だと思っていた土地が、

「再出発のきっかけ」に変わる瞬間がある。

また、創業支援でも同じことが起きている。

「地元でなにかを始めたい」

「子育てと仕事、どちらも大事にしたい」

そんな若者や移住者の想いに触れるとき、

久保田さんは、すぐに制度の話を始めない。

まずは、ゆっくりと、相手の声を聞く。

その人が「どんな暮らしをしたいのか」「何を大切にしたいのか」

——そこを理解してから、初めて動き出す。

「あの空き家、もしかしたら活用できるかもしれません」

「申請できる補助金があります。手続き、全部やりますよ」

「必要なら、市との橋渡しも僕がします」

久保田さんが動くと、制度が“生き物”のように動き出す。

人と制度がつながり、想いが形になっていく。

最近では、地元の若者たちが中心となって、創業支援のプロジェクトが立ち上がっている。

外部企業のスポンサーとも連携しながら、町を元気にしようと挑戦が始まった。

久保田さんは、その動きを“無償で支える側”として、関わっている。

「僕が何かを変えるんじゃない。

 この町で“動ける人”が生まれるように、

 僕は“仕組み”を整えるだけなんです」

自分が主役になろうとは、微塵も思っていない。

むしろ、舞台に立つのは挑戦する誰かであってほしい。

久保田さんは、その背中を支え、仕組みで押し上げ、陰から寄り添う。

「やってみたい」

「変えてみたい」

その気持ちが育つ場所を、この町に作りたい——

それが、自分の使命だと信じている。

人は、制度に動かされるのではない。

人が動くときに、制度はようやく“力”になる。

久保田さんが町の中で“裏方”を続けることで、

町は、少しずつ息を吹き返しはじめている。

社会を動かすのは、いつも“見えない仕事”だ。

そして今日も久保田さんは、誰かの「始めたい」を支えるために、動き続けている。

第7章|この町に、もう一度“火を灯す”ということ

——誰かの挑戦が、誰かの人生を照らしていく

「なぜ、そこまでやるんですか?」

インタビューの最中、ふと投げかけた問いに、久保田さんは少しだけ考えて、こう答えた。

「頼まれたわけじゃないけど、気づいちゃったから——やるしかないんですよ」

あまりにも率直で、まっすぐな言葉だった。

仕組みにもれて苦しむ人たちがいて、

制度があるのに知られずに埋もれていて、

「助けてほしい」と声を出せないまま、取り残される人がいる。

それを知ってしまった自分が黙っていたら、意味がない。

「僕じゃなくてもいい。でも、“誰かが動かなきゃ何も変わらない」

——それが、久保田さんがこの町で行政書士として生き続ける理由だった。

彼にとって“仕事”は、稼ぐだけの手段じゃない。

制度の穴をふさぐことでもない。

目の前の誰かが「ありがとう」と言ってくれる、その瞬間をつくること。

そこに、自分の“生きている実感”がある。

IKIGAIとは何か。

それは、特別な才能のことではない。

大きな夢でもない。

「気づいたから動く」「誰かの役に立ちたいと願う」——その覚悟のことだ。

久保田さんにとってIKIGAIとは、

申請書に黙って目を通すことだった。

必要な人に制度を届けることだった。

そして、誰にも頼まれなくても“人のために”と決めて動くことだった。

「人は、自分の人生を、誰かのために使いたくなる瞬間がある。」

久保田さんは、その瞬間を逃さなかっただけだ。

積み重ねたすべての経験も、

都会で流した汗も涙も、

報われなかった日々も、敗北も、挫折も——

今、確かに誰かのIKIGAIに繋がっている。

あの日の絶望が、今日の誰かの希望を照らしている。

そして彼は、今もこの町で新しい火を灯している。

それは、過去に別れを告げるためではない。

過去を抱きしめたその手で、未来を信じて進むためだ。

その火が灯り続ける限り、

この町のIKIGAIは次世代に繋がっていくだろう。

あとがき

久保田さんのインタビューの中で、忘れられない言葉がある。

「やり切ったのなら、もう場所を変えてもいいじゃないですか」

この言葉が、胸にすとんと落ちた。

都会で、もがいて、傷ついて。

何をしても報われないように感じて。

どんどん“自分が消えていく”ような感覚。

死にたいとまでは言えなくても、「生きてる意味なんてあるのか」と思った夜が、私にもあった。

——だから、久保田さんのこの言葉は、まるで“許し”のように響いた。

けれどそれは、「あきらめろ」という意味ではない。

むしろその逆だった。

「今の場所では見えないだけで、

あなたの力が“必要とされる場所”は、必ずある」

この国には、誰かが来てくれるだけで喜ばれる町がある。

スマホを使えるだけで感謝される場所がある。

若いというだけで、未来の希望だと迎えてくれる地域がある。

法律も制度も、「知っていなければ使えない」ものばかり。

「得をするのは、知っている人間だけ」——それが、この社会の仕組みでもある。

でも、久保田さんはその“知っている側”に立ちながら、

「自分のためにだけ使う」のではなく、「誰かのために届ける」ことを選んだ。

それは“与える人”としての覚悟であり、

“灯りをともす人”としての選択だった。

私たちは、「場所を変えることは逃げだ」と思い込んでいる。

「そのまま頑張ることが美徳だ」と教えられてきた。

でも、本当にそうだろうか?

場所を変えるにも、いろんな形がある。

誰かから逃げるための移動もあれば、

自分の力を活かすための“前向きな移動”もある。

久保田さんが選んだのは、まさにその後者だった。

東京での25年をやりきったからこそ、

次は、自分の人生を「誰かのために」使える場所へと歩み出した。

——これは、諦めではない。

“次の使命に向かう決断”だった。

そして、もしかしたらあなたも、

場所を変えた先で——

「かけがえのない友」と出会うかもしれない。

一緒に夢を語れる仲間と、心を重ねる日が来るかもしれない。

場所を変えることで、初めて灯せる火がある。

新しいステージに立ったからこそ、IKIGAIに出会えることもある。

「どちらの人生が価値あるものか」

「どちらの選択が“正しい道”なのか」

その答えは、他人に決められるものではない。

自分で選んだ道を、“正解にする”のは、自分だ。

久保田さんのストーリーは、教えてくれる。

たとえ人生に絶望したことがあっても——

もう一度、火を灯すことはできる。

そして、その火がいつか、

誰かの未来をそっと照らすということを。

この物語が、

「逃げちゃダメだ」という常識を手放し、

あなた自身のIKIGAIと向き合うきっかけになることを願って——

私は、これを記す。

あなたの火種は、どこに眠っていますか?

IKIGAIコレクター

尾崎弘師

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