ワクワク・土木土木(ドキドキ)、土木をトップの夢職に!

デミー博士

土木学者 土木タレント

長崎長崎市

デミー博士が挑むイメージ改革の全貌

“怖い仕事”から、“夢の冒険”へ。

長崎大学で工学博士号を取得し、現在は同大学で研究教育に就く傍ら、
土木の魅力を発信し続ける—その名は、出水享。通称「デミー博士」。

土木学者であり、土木タレントであり、土木イベントの仕掛け人。
講演・テレビ出演・SDGsや地域創生のプロデュースまで、
その活動領域はとどまるところを知らない。

博士のミッションの一つ。
「土木を子どもたちの憧れの職業No.1にすること」

なぜなら——
今なお世間には、「土木=きつい・汚い・危険」「ガラが悪い」という
ステレオタイプが根強く残っているからだ。

だが、実際の土木は違う。
それは、誰かの暮らしを支える“見えないヒーロー”の仕事。

水が飲め、電気が届き、道路が繋がる——当たり前を、当たり前にするために。
そのやさしさを形に変えるのが、土木の本質なのだ。

「伝えなければ、存在しないも同じ」

そう信じて、博士は今日も、現場から世界へ発信を続けている。

その原点にあったのが、軍艦島との出会いだった。

学生時代。
友達に連れられた海水浴場の沖合、異様な島影が視界に入った。

それは、海に浮かぶ巨大な廃墟都市——軍艦島(端島)だった。

密集した高層建築。風化したコンクリート。
まるで“時が止まった戦艦”のようなその姿に、博士の心は撃ち抜かれた。

「なんだ、あれは……」

次の瞬間、心臓が高鳴った。
ドキドキドキドキ、ドキドキと。
まるで冒険のはじまりを告げる太鼓の音のように。

理由なんていらなかった。
ただ、どうしても“この島に行ってみたい”と、魂が叫んでいた。

それが、すべての始まりだった。

研究者として、探究者として、博士はこの“冒険”に人生を捧げる。

大学の研究として入島許可を獲得。
ドローンを使い島全体を撮影し、軍艦島を3D化するプロジェクトを立ち上げた。

それはやがて、「軍艦島3Dプロジェクト」として結実し、世界を震撼させた。
そのことがきっかけでグッドデザイン賞を受賞。

世の中に埋もれていた「価値」を、光の当たる場所へ押し出す経験となった。
デミー博士は軍艦島ブームの火付け役と呼ばれるようになった。

そして博士は、気づく。
価値を伝えること=世界を変えることだと。

土木の魅力も、伝えなければ誰にも届かない。
それなら、自分が届けるしかない。誰よりも情熱を持って。

SNSで、YouTubeで、イベントで、子どもたちに“土木土木(ドキドキ)”を届ける。

この物語は—

軍艦島に魅せられ、土木を愛し、愛し、愛し抜いた男の探求記。
そしてこれは、土木という言葉にもう一度“ロマン”を取り戻すための戦いである。

さあ、始めよう。
“土木土木(ドキドキ)”の旅は、もう始まっている。

第1章|始まりは、マンホールの蓋の向こうにあった——そして軍艦島との出会い

時代は高校時代。登下校の途中、ふと足元に目を向けた。

それは、道路にある丸い謎の物体。

鈍く光る鉄の表面に、街の名前と意味ありげな模様が刻まれていた。

誰もが気にも留めず、踏んで通り過ぎていくその蓋の下に、何かすごい秘密が隠れている気がした。

「これ、なんなんだろう」

その一言が、博士の中にひとつの“穴”を開けた。

道路の下には、街を支えるライペインが通っている。

電気、水道、通信——。

誰の目にも触れず、じっくり、確実に社会を支えている“しくみ”

そして、それを造る人たちがいる。

「土木って、何かすごいことをしてるんじゃないか」

バスケットボールに打ち込む青春の只中で、確かな何かが動き始めていた。

それが、長崎大学で“土木”を志すきっかけとなった。

そして、大学に入学し、運命の出会いはさらに続く。

軍艦島との出会い。

長崎の海。大学1年生の夏。

友人たちと泳ぎに出かけた。

ふと沖合に目を細めると、海の上に——いや、空に突き立つように——

巨大なコンクリートの塊が浮かんでいた。

(画像)写真提供:デミー博士

建物が密集し、まるで空母か軍艦のような異様なシルエット。

その瞬間、博士の心臓が

ドキ……ドキ……ドキ……ッ!!

「……なんだ、あれは……」

胸の奥に火がついたように、好奇心が爆発した。

それはもう「興味がある」なんかじゃなかった。

魂ごと持っていかれるような衝動だった。

行きたい。中を見たい。

どうしてこんな形になったのか。

どうやって造られたのか。

誰が、何のために——?

気づけば、博士の中では「行く」ことが先になっていた。

まるで、冒険のプロローグを告げる太鼓の音のように……

すべての始まりは、この出会いからだった。

第2章:「絶対に行ってやる——執念でこじ開けた、軍艦島への扉」

大学時代、海で偶然見つけた「空に突き立つ島」

それ以来、博士の心にはずっと軍艦島が住んでいた。

社会に出ても、その想いは消えなかった。

博士にとって軍艦島は、行きたくてたまらない場所であった。

大学卒業後、博士は建設コンサルタント会社に就職した。

インフラの維持管理という“社会の裏方”の世界に携わるなかで、

あの島の記憶が、再び現実の距離に近づいてきた。

「……今なら、大丈夫かもしれない」

博士は自ら社員旅行の幹事となり、観光会社と連携して軍艦島周遊ツアーを企画。

船に乗り、島の姿を眺めた。

かつての炭鉱都市の痕跡。朽ちかけた建物の群れ。剥き出しのコンクリート。
それだけでも、胸の奥が熱くなった。

——でも。
船の上から眺めるだけでは、なにも「感動できなかった」

上陸は禁止。中を歩くことも、近くで構造を見ることもできない。
何年経っても、博士の中では「あと一歩」が埋まらなかった。

「もう、表面をなぞるだけじゃ意味がない。」

その想いは「願望」ではなく、“探究心”という名の執念へと変わっていた。
「どうしても中に入りたい」で終わらせない。

どうすれば、あの島の“中”に触れられるのか?
どうすれば、本質に迫れるのか?

博士は人生をもう一度、「学び」に賭ける決意をした。

建設コンサルタント会社を辞め、
長崎大学インフラ長寿命化センターに再び身を置く。
働きながら、工学博士の取得に挑むことを決めた。

研究テーマは、「老朽化が進む基盤構造のメンテナンス」
放置され、崩れゆく軍艦島は、まさにその“巨大な象徴”だった。

——だが、入ったとして、修繕は本当に可能なのか?

詳細な図面はない。現場の様子もわからない。
崩壊寸前の建物に、通常の調査手法は通じない。

「だったら——空から全体を捉えてみよう。」

当時まだ一般化されていなかったドローン技術。
博士はその可能性に懸けた。上空から島を撮影し、得られた画像で3Dモデルを作成する。
それが、軍艦島保存の第一歩になると信じた。

「この計画を、正式に“研究”として申請しよう。」

長崎市役所に調査許可を申請。
何度も書類を整え、計画書を修正し、安全体制を詰め込んだ。
大学の名を背負い、責任者としての覚悟を示す。

市の担当者の反応は、最初こそ慎重だった。

「空から調査?本当にできるのか?」

——それでも、博士はあきらめなかった。

そして、ある日。

一本の電話が鳴った。

こわばった手で受話器を取った博士に、こう伝えられた。

「出水さん、調査の許可が下りましたよ」

その瞬間。
何年も胸に張りつめていた糸が、ふっと解けた。
体の奥から、言葉にならない何かが湧き上がった。

誰もいない研究室の片隅で、博士は静かに、拳を握った。

2009年——軍艦島。ついに、扉が開いた。

行きたくて、でも行けなかった。
夢だった島に、やっと届いた。

その扉を開いたのは、情報でも知識でもない。
ただひたすらな、「情熱の継続」だった。

第3章:「空から、記憶を守れ——軍艦島3Dプロジェクト始動!」

2009年。
博士はついに、軍艦島へと足を踏み入れた。

大学時代から心を奪われ、社会人となって十数年——
ようやく辿り着いた“夢の島”。

だが、目の前に広がっていたのは、記憶の中の姿とはまるで違っていた。

崩れかけた建物、剥き出しの鉄筋、地面に散らばる瓦礫たち。
島全体が、風と重力に引き寄せられるように、静かに、確かに崩れていた。

「このままじゃ、本当に、何も残らなくなる」

調査の目的は、「保存の可能性」を探ることだった。
けれど、いざ現地に立った博士が目の当たりにしたのは、もっと根源的な“空白”だった。

建物の配置も構造も、誰も正確に把握できていない。
あまりに危険な現場では、近づいて測量や目視調査すら難しいのだ。

「全貌が見えなければ、守ることも、始めることもできない」

ならば——まずは、“記録”しよう。
しかも、可能な限り、正確に。立体的に。未来へ残せるかたちで。

その答えが、「ドローンで空から撮影し、軍艦島を3D化する」というアイデアだった。

当時、ドローン技術はまだ黎明期。
建設や土木の分野でも、活用例はほとんどなかった。

だが、上空からなら、崩落の危険を避けられる。
博士は、“空中からの文化財保存”という未踏の挑戦に、すべてを賭けることにした。

機材の選定、飛行許可の取得、飛行計画の立案——
ドローン撮影のすべてを、自ら手がけた。

そして、ついに撮影を開始。
島全体を覆う約28,000枚の写真を、何日もかけて、一枚ずつ集めていった。

(画像)写真提供:デミー博士

だがその過程は、想像以上に過酷だった。

潮風、強風、電波干渉。
複雑な島の構造が、ドローンの飛行ルートを何度も妨げた。

わずかなブレでも、3D化は成り立たない。
1回のフライトで撮れるのは、数百枚。
それでも博士は、あきらめなかった。

「島の記憶を、空から守る」——
その一心で、何日も何日も、島の“断片”を集め続けた。

そして次に始まったのが、地道な画像解析だった。

28,000枚の中から、約4,000枚を厳選。
建物の角度、光の反射、影の濃淡、重なり具合。
一枚一枚を丹念に調整し、フォトグラメトリ技術を用いて、デジタルの世界に“島”を再構築していく。

(画像)写真提供:デミー博士

細部の再現にこだわり抜いた作業は、数ヶ月に及んだ。

そして——
ついに完成した“もうひとつの軍艦島”。
それは、2014年のことだった。

その3Dモデルを初めて目にしたとき、博士はこう思った。

「やっと、島に触れられた気がする」

空から記録された軍艦島は、いま、デジタルの中で生き続けている。

第4章:「伝える力こそ、土木を救う——“なりたい職業No.1”への決意」

「広報」で世界が動いた。軍艦島3Dから始まった、デミー博士の挑戦。

2009年、自ら軍艦島に上陸し、その圧倒的なスケールと歴史に心を震わせたデミー博士は、島の姿を3Dデータとして精密に再現するプロジェクトに没頭していた。

当初は、あくまで研究目的だったそのデータ。しかし、ある日——
それを見た友人の一言が、博士の進む方向を大きく変える。

「これは、世の中に発信したほうがいい。もっと多くの人に見てもらうべきだよ」

広報の経験は皆無。
そもそも“広報”にどんな効果があるのかもわからなかった。
それでも博士は、半信半疑のまま、自作の軍艦島3Dをホームページ、YouTube、SNSで発信してみることにした。

すると──
わずか数日でYouTube再生10万回を突破。
各種メディアが次々に取り上げ、ラジオ・新聞・テレビ・雑誌……
気づけばデミー博士は、「時の人」になっていた。

「正直、ここまでの反響があるとは思っていませんでした。
広報の持つ力に、ただただ驚きました」

その価値を、忘れていた。

心のどこかで、こう思っていたのだ。
「軍艦島はもう珍しくない」
「今さら価値があると思われないのでは」と。

だが——
広報という“外への声”を発した瞬間、その思い込みは一瞬で崩れた。

「価値あるものでも、長く触れ続けていると、それが“当たり前”になってしまう。
だからこそ、外に向かって発信することの大切さを痛感しました」

ちょうどその頃、ある就職情報誌の記事に目が留まる。
「子どもが憧れる職業ランキング」。
そこに、“土木”の文字はなかった。

「自分が情熱を注いできた仕事が、子どもたちにとって“憧れ”じゃない。
それがすごくショックでした。
同時に、これは“伝え方”の問題かもしれないと感じたんです」

土木という職業に込められた誇りと意義。
それを、未来を担う子どもたちに届けたい——。

そう考えた博士は、広報の力を信じることを決意した。
2015年、博士はこう掲げた。

「土木を、子どもたちの憧れの職業No.1にする」

軍艦島3Dから始まった広報の冒険は、博士の人生を大きく変えた。
ただ情報を出すだけではない。
「思いを伝える」という行為の本質と、その“力”を知ってしまったからこそ、次なる挑戦が始まる。

「価値あるものは、伝えなければ存在しないのと同じ。
だから、僕はこれからも“伝えること”をやめません」

──ひとりの研究者が歩み始めた、“広報”という名の冒険。
それは今、未来をつくる子どもたちに、夢を届けようとしている。

第5章:「“面白い”はつくれる——子どもたちと仕掛けた、土木の遊園地」


「土木を、子どもたちの“なりたい職業No.1”にする。」
そう決意してから、デミー博士は次の問いに立ち向かった。

——どうすれば、子どもたちは“なりたい”と思ってくれるのか?

講演会では興味を示してくれる。SNSでも反響はある。
でも、まだ何かが足りなかった。

博士が思い出したのは、自分自身が土木に心を奪われたあの瞬間だった。
見たことのない景色。鳴り響く重機の音。構造物の迫力——

「土木って、実は“遊園地”みたいなものじゃないか?」
そうひらめいたとき、次の挑戦は決まった。

土木の現場を、子どもたちにとって“非日常の冒険フィールド”にする。

最初のイベントは、すべてが手作りだった。

知名度も、予算も、後ろ盾もなかった。
「やらせてください」と各所に頭を下げ、ボランティアで現場を借りた。
チラシを自作し、親子向けに土木体験イベントを開催することにした。

重機の操作体験、現場見学、高所作業車の搭乗——
いつもの“仕事場”を子どもたちの“ワクワクのステージ“へと変えていった。

不安もあった。
子どもたちは楽しんでくれるだろうか。
「怖い」「汚い」と言われたらどうしよう——

しかしその心配は、イベント当日、子どもたちの瞳に光が宿った瞬間に吹き飛んだ。

(画像)写真提供:デミー博士

「でっかい!」「うわぁ!動いてるー!」「乗っていいの!?」

重機の前ではしゃぐ子どもたち。
ヘルメットをかぶり、真剣な眼差しで操作レバーを握る小さな手。
高所作業車で空に上がり、歓声を上げるその姿に——

デミー博士は確信した。
「このドキドキを、届けられた。」

それ以来、博士の目線は“演出家”に変わっていった。

どうすれば、同じ現場でももっと夢中になってもらえるか。
どう撮るか、どう並べるか、どんな導線で魅せるか。
構造や工程そのものを、エンターテイメントとして伝える方法を考えるようになった。

“仕事”は演出ひとつで、“夢”になる。

それは土木に限らず、どんな業界にも通じる普遍の可能性だった。

イベントを重ねるたびに、全国から声がかかるようになった。

「うちの地域でもやってくれませんか?」
「社員の子どもに見せたい」
「PRの力を借りたい」

中部、関西、九州……
次々と“土木の遊園地”が各地に立ち上がっていった。

そして、現場で起こった変化はもう一つある。
大人たちが、誇りを取り戻しはじめた。

最初は戸惑っていた職人たちが、
「これは難しかったんよ!」「この橋、俺が担当したんだ」
と、得意げに子どもたちに話すようになった。

「子どもたちが、こんなに喜んでくれるなら、
俺たちの仕事も、捨てたもんじゃないな」

その言葉に、デミー博士は深く頷いた。
「現場が元気になれば、未来は変わる。」

“広報”とは、外に向けて伝えることだと思われがちだ。
だが、本当に必要なのは、中にいる人の心に火を灯すことなのだと、博士は気づいた。

「うちの会社、めっちゃいいでしょ」
そう胸を張って言える人が一人でも増えたら、
その背中を見て「僕もやってみたい」と言う子が、きっと現れる。

体験は、記憶に残る。
記憶は、憧れになる。
そして、憧れは未来をつくる。

デミー博士は今日も、どこかの現場に“遊園地”をつくっている。

“面白い”は、つくれる。
そして、その“面白さ”が、日本の土木を変えていくのだ。

(画像)写真提供:デミー博士

第6章:伝える力は、もう一人じゃない——仲間と仕掛ける、土木のムーブメント

気づけば、デミー博士の周りには仲間が集まりはじめていた。

SNSで繋がった建設業者たち。
イベントで出会った親子たち。
講演を聞いて感動したと声をかけてくれた学生たち。

“土木を夢に変えたい”という思いに共鳴する人が、ひとり、またひとりと増えていった。

けれど——
仲間が増えれば増えるほど、デミー博士の中にはある“葛藤”も生まれた。

「どうすれば、想いを“行動”に変えてもらえるのか?」

自分ひとりでやってきた頃は、全部自分の頭の中で完結していた。
企画、設営、広報、演出、SNS発信。全部、自分の責任でやってきた。

だが、仲間と一緒にやるとなると、そうはいかない。
• 「想いを共有すること」
• 「任せること」
• 「信じること」

それが、想像以上に難しい。

最初は何でも自分でやってしまった。
でも、ふと気づいた。「任せること」が、次のステップになるのだと。

デミー博士は次第に、仲間が“主役になれる”企画を考えるようになった。
• 「自分だけが伝えるのではなく、みんなで伝える土木」
• 「土木のすごさは、誰か一人が叫ぶだけでは伝わらない」
• 「それぞれの現場で、それぞれの人が“ドクドク”を伝えられるようにしたい」

その想いから始めたのが——
11月18日「土木の日」の、X(旧Twitter)一斉投稿キャンペーンだった。

(画像)写真提供:デミー博士

仕組みはシンプルだ。

11月18日 午前11時18分。
全国の建設業者、職人、自治体関係者、学生、子育て世代に呼びかけ、
「#土木の日」などのハッシュタグをつけて一斉投稿してもらう。

内容はなんでもよかった。
現場の写真でも、自分の想いでも、子どもの反応でも。

大事なのは、“同じ時刻に、全国の仲間が一斉に動く”こと。
それは、バラバラだったドキドキを、1つのうねりに変える実験だった。

結果——
2024年、投稿数は約5,000件に達し、Xのトレンド全国2位にランクイン。

土木がトレンドに乗った。
それだけで、いくつもの企業やメディアから「なんですかこれ!?」と連絡が入った。

バズることが1番の目的じゃない。
みんなが“伝える力”を持っていると信じて、それを引き出す仕掛けをつくること。
それが、デミー博士の新たなミッションになっていた。

仲間の中には、かつてイベントに参加してくれた子どももいた。

あのとき重機に目を輝かせていた少年が、今は大学で土木を学び、
「一緒に活動したいです」と連絡をくれた。

彼らがいま、発信する側に回ってくれている。
「土木土木(ドキドキ)」を受け取った者が、次の“語り部”になる。
それは、単なるイベントではなく、土木の“物語”が世代を超えて受け継がれている証だった。

やがて、「デミー博士」という存在は、
単なる一人の研究者ではなく、“仕掛け人”としての旗印になっていく。

個の活動は、“個の限界”にも直面する。
だからこそ、博士は自らのキャラクターを「みんなのツール」として差し出した。

誰かが「一緒にやりたい」と言えば、いつでも旗を貸す。
企画に参加すれば、ロゴでもネームでも自由に使ってもらう。

そうやって、“ひとりの情熱”が、無数の行動へと変わっていった。

デミー博士は言う。

「伝えることって、孤独だと思ってた。
でも、本当は“仲間をつくる力”だったんだよね。」

全国の現場がつながり、
ひとつのトレンドになり、
また別の仲間へ、想いがリレーされていく。

デミー博士は今日も、信じている。

広がることで、むしろ“深くなる”のが、人のつながりだと。

そして、そのつながりこそが、土木の本質——
人と人、時代と時代を“つなぐ”仕事そのものなのだと。

 

7章:「鼓動が響く場所で、生きていたい」

「土木って、何のためにあるんだろう?」

そんな問いを、デミー博士は何度も投げかけてきた。

巨大な構造物をつくること。
インフラを維持すること。
災害から人を守ること。

でも、いくら言葉を並べても、どこか足りない気がしていた。
本当に、自分が“ドキドキ”を感じる瞬間ってなんだろう?
——そう考えたとき、思い出したのは“”だった。

軍艦島に初めて足を踏み入れたあの日。

朽ちかけた建物に囲まれ、吹き抜ける風の中で、
デミー博士は確かに聴いた気がした。命の鼓動を。

誰かが暮らしていた。誰かが働いていた。
誰かが笑って、泣いて、生きていた。
その痕跡が、構造物の隙間から“土木土木(ドキドキ)”と伝わってきた。

「ああ、土木って、人の命が通った“道”なんだ」

そのとき、博士の中で何かがつながった。

土木は、ただモノを作る仕事じゃない。

水道。道路。電線。橋。
どれも“命”がそこを通るから、価値がある。

“誰かの暮らし”が動く道を、そっと整える仕事。
人が安心して、生きていける空間を「つくる」のではなく、「支える」という感覚。
それが、博士にとっての土木だった。

けれど、その土木は、時に矛盾も孕んでいる。

自然を壊すこともある。
生き物のすみかを奪うこともある。
工事をすることで、森や海の命を傷つけてしまう現実もある。

「それでも僕たちは、やるべきなのか?」

——その問いから逃げたくなったこともあった。

だから、デミー博士は“伝える”ことを選んだ。

ただ作るのではなく、「なぜ作るのか」「どう守るのか」を語り続ける。
子どもたちに環境の話もする。
「土木が悪者にならないように、ちゃんと悩むんだよ」と伝える。

デミー博士が立ち上げた“軍艦島が見える海を守る”プロジェクトも、そのひとつだった。

ゴミ拾いから始まった活動が、地域の人たちを巻き込み、
環境問題に関心を持つ若者が増えていった。

軍艦島に出会ってから始まった物語が、また“命のある現場”に戻ってきた。

(画像)写真提供:デミー博士

ときどき、博士はふと立ち止まって自問する。

「なぜ、僕はここまでやるんだろう?」

お金のためじゃない

名誉のためでもない。

ただ、“この鼓動”を、ずっと感じていたいのだ。

イベントで子どもが目を輝かせたとき、

現場の職人が「やっててよかった」と笑ったとき、

SNSの投稿が、誰かの未来を変えたとき——

そのすべての瞬間に、命の振動がある。

そして、その音を聴くたびに、デミー博士の中に“生きる実感”が灯る。

「僕にとってのIKIGAIは、命の音が聴こえる場所で、生きていること

土に耳を澄ませば、きっと聞こえてくる。

見えない誰かの歩幅、流れていく暮らしの気配。

その音が、博士の生き方を支えている。

これから先、土木はもっと変わるだろう。

AIも出てくるし、技術も進化していく。

だけど——

人の鼓動に寄り添える仕事

命の重みを感じながら、街を支える人

そんな人がいるかぎり、土木の価値はなくならない。

そしてデミー博士は、そういう人を、これからも育てていく。

鼓動が響く場所”に、未来を咲かせるために。

なぜなら——

土木こそ、命をつなぐ冒険だ。

そしていつかこの国で、

「土木」が、子どもたちの“なりたい職業No.1”になるその日まで。

あとがき

デミー博士から学んだのは、「仕事とは、命の鼓動に触れる営みだ」ということだった。

土木は、誰かの暮らしを支える。

誰もが通り過ぎていく道の下で、

誰かが、誰かの命を守っている。

現場員が当たり前だと思ってやっていることは、実は、とてもカッコいいことなのだ。

デミー博士はその“見えない営み”を、見える形に変えてきた。

SNSで、イベントで、研究で、子どもたちの瞳に、ドキドキを灯してきた。

そして、ただ技術を伝えるだけでなく、誇りを育てる仕事をしていた。

「土木を、なりたい職業No.1に」——

その言葉は、IKIGAIを持つプロフェッショナルだからこそ、出せる言葉だ。

けれどそれは、土木に限った話ではない。

どんな仕事にも、ドキドキはある。

大工でも、美容師でも、教師でも、看護師でも、営業でも。どんな仕事だって。

本気で向き合い、極め、誰かのために捧げたとき、

その仕事は、あなたにとっての“職業No.1”になれる。

そして、そんな働き方こそが——IKIGAIなのだと思う。

私が信じているのは、

IKIGAIとは、他人の評価から生まれるものではないということ。

自分の真実を探究した先にこそ、宿るものだ。

自分の中から湧き上がる土木土木(ドキドキ)が、

誰かのために震えたとき、

それは“自分の生きる理由”から、“誰かの生きる力”へと変わる。

軍艦島に心を奪われたひとりの学生が、

使命をかたちにし、未来へ受け継いだように——

誰もが、自分のドキドキから始めていい。

いま、私たちの社会には、

「誇れる仕事が足りない」のではない。

「誇っていいと気づけていない」だけだ。

だから私は、こうして記す。

デミー博士のIKIGAIを、世間に伝えること。

そしてそれが、あなた自身の土木土木(ドキドキ)を思い出すきっかけになることを願って。

私の鼓動が、あなたの胸にも届きますように。

IKIGAIコレクター

尾崎弘師

デミー博士のHP

https://www.akira-demizu.com

参考動画

軍艦島の調査映像(YouTube) https://youtu.be/d61IlElcJFA?si=pHOqDiVpuSnFP2Us

軍備島3D(YouTube) https://youtu.be/_5XIJ58wYxs?si=nM5WIsR93XOfc00F

土木現場(YouTube) https://youtu.be/sg-GNRXCbfw?si=F8FisI4z6u_JE6fL

 

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